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この国JAPAN

1996年
作詞 石原信一 作曲 吉田拓郎
アルバム「感度良好波高し」

拓ちゃん快進撃、GO!GO!

 アルバム「感度良好波高し」の多くの曲は秀曲でありながら地味に放置されている感が強い。この作品も然りだ。95年バハマに結集したラス・カンケル、クレイグ・ダーギーらいわゆる外人バンドとのコラボは、低迷していた拓郎の大きな突破口になった。彼らとのコラボで得たものは音楽家としての「蘇生」であった。私が勝手に言っているのではなく、本人とスタッフが言うから間違いない。その二作目のアルバムである「感度良好波高し」は、さらに呼吸もピッタリとあって一層洗練されている。
 当初、拓郎は、「これからは毎年、何があってもこのメンバーと集まってアルバムを作りライブを続けていく、そんな音楽人生にしたい」と熱く語っていた。とはいえ2年だけで、LOVE2が始まるとバブルの真っ只中に飛びこんで行ってしまった。それも拓郎である。とてつもなく彼らバンドのギャランティーが高かったようで大人の事情もあったのだろう。しかし、もしあのままLOVE2がなく、彼らとのコラボが続いていたらどうなっていたのか。それはそれで大きな音楽的な結晶を得ていたはずで、残念に思うファンの声も多い。 「たら」「れば」で語っても仕方ないか。
 この作品でも石原信一の詞が冴える。文明が進歩しながらも荒廃していく日本、そこに生きていく人々を描く。作品のサイズもトーンも違うが、これは石原信一版の「アジアの片隅で」ではないか。
 「高圧線の大動脈と通信回路の静脈の音 科学の糸に操りつられ 悪魔の斧に震えて眠る」「見上げる空は酸っぱい雨が 人は溢れて逃げ場もないさ」・・・当時は何と大仰で理屈っぽい詞なんだと思ったが、こうして2011年も過ぎた今読み返すと原発の恐怖とネット漬けの危険に晒される現代を実に見事に切り取っている。
 「危うく生きる俺たちがいてこの国はJAPAN」・・どうしようもない殺伐とした詞ながらも、この作品に、どこか勇気づけられるような感じがするのは、間違いなく拓郎のメロディーと歌唱のもつ「陽性」のパワーだ。同じ時代の危機を背負って、拓郎も私たちと一緒に生きているという共生感も心強く感じる理由のひとつだ。同じ詞を小椋佳や因幡晃が歌ったらこうはいくまい。
 久々に聴く気がする早口で溢れる言葉を叩きつける例の歌唱が嬉しい。心地よくその歌唱を包む演奏がとても温かいことにも気づく。やはりこの外人バンドが拓郎にとって大きかったことを垣間見ることができるようだ。唯一の難点は「この国はジャパ~ン」の部分。拓郎は思い切り正しい発音を試みているようだが、どうしてもココを聴くと「郷ひろみ」の顔が浮かんでくる。まだ聴き手として修業が足りない自分である。

2015.10/11