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この風

2012年
作詞 銀色夏生 作曲 吉田拓郎
アルバム「午後の天気」

自分の言葉と岡本・松本の言葉とそしてそのどちらでもないもの

 2012年発表のアルバム「午後の天気」の中で唯一、拓郎が詞を書いていない作品。作詞が銀色夏生ときたもんだ。斉藤由貴でも大田裕美でもない御大吉田拓郎への登板にちょっと驚いた。どっから誰が連れてきたんだという不思議感があった。
 そして相まみえたこの詞は、このアルバム内はもちろん、これまでの拓郎の作品群からも異質な作品となった。この異質さをどう表現したものか。特にドラマチックな仕立てや美しい叙景を描いてるわけでもない。逆にそういう飾りを抑えに抑えている。言葉に無駄がなく簡素なまでのシンプルな詞という印象がある。
 銀色夏生は自身の公式ホームページでこう書いている。
  "尊敬する方の声で、その人のために書いた私の言葉が歌われる!感無量です。もし拓郎さんに歌ってもらう詩を私が書くならば、とものすごく集中して考え、すぐに浮かんできた、これしかないという詩を書きました。"
 対極の世界の人かと思っていたらそこに愛があった。吉田拓郎にまっすぐに向き合いながら渾身で言葉を研ぎ澄ましていたことがわかる。削ぎ落し彫琢された簡潔な言葉たちとその行間に魂がこめて銀色夏生は挑んできたのだ。
 そしてこの詞に誘発された吉田拓郎のメロディーがまた素晴らしい。どう素晴らしいのか。あえてシンプルに構成された言葉とその行間を展開し解題するようなメロディ―だ。風に吹かれながら思いを静かに巡らす。その心根のゆらぎが切々と胸にせまるようなメロディー展開。メロディ―そのものにも泣きたくなるような哀しい表情がある。それに初めて出会う作詞家の言葉ゆえ、メロディーにいい意味でのよそゆき感と緊張感がある。というわけでこれは出色メロディーではなかろうか。カッチョエエ曲だなぁと思わず嘆息してしまう。銀色夏生と吉田拓郎。初めての出会いにもかかわらず固いタッグ感が半端ない。これなら銀色夏生との共作をもっと聴いてみたい。おなじみの松本隆や岡本おさみなどの誰とも違う質感がある。今回の銀色夏生のような未知の作詞家の詞が拓郎のさらに斬新なメロディーを生む触媒になるし、拓郎自身の詩もさらに磨かれていくのだと…僭越ながら思うのだ。
 末筆ながら、ソウルに満ちていて徐々に力強く弾んでくる演奏もすんばらしい。ブルースなキーボードが徐々に加速し、後半から乱打するようにエレピがハジけている。これは中西康晴なのか、エルトン永田なのか、あるいは共演なのか。とにかく隙のない作品だ。メロディーカーとしての才能をあらためて示す。

2020.4.8