今度はいったい何回目の引っ越しになるんだろう
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「吉田町の唄」/アルバム「TRAVELLIN’ MAN LIVE AT NHK STUDIO 101」/DVD「93 TRAVELLIN’ MAN LIVE at NHK STUDIO 101」
移転じゃないのよ引っ越しは
拓郎の作品には、傑作⇔凡作というモノサシでは測りきれない、インパクトだけで勝負してしまう作品がある。これもその一作だ。引越歴・転居歴を真剣に歌おうとする歌手も珍しいが、それが大河作品として成立してしまう歌手もいまい。拓郎が上京後25年余りに13回以上(1992年当時)の引越を繰り返したというのは伝説ではなく現実の事実だ。
市井の人々は「拓郎さん引越し好きですねェ」と感心したり、シビアに、たくさんの地名が並んでいるだけのヘンテコな歌じゃないかという意見すらもあるが、一般Pにはわかるまい。ファンにとっては、そこに編みこまれたひとつひとつの背景が大切なのだ。・・・まぁ他人の引越にここまで思い入れしてしまうというのも吉田拓郎ファンだけかもしれない。
上京後、高輪で上智大学の全共闘との共同生活によって導かれたデビュー。怖いものナシで音楽界を暴れまわり、愛を育んだ妙法寺、家族三人の幸福を束の間育んだ目黒柿の木坂。通りすがりに緑のジャガーを値段も聞かずに即買いした破竹の勢いのスター伝説。それはそのまま70年代の多くの名曲が生まれ、日本の音楽業界の革命の道と重なる。そして80年代、音楽業界の重鎮の座につき、また怒涛のごとき音楽活動の基となり、多くのミュージシャンが集ったダイエー近くのロワイヤル碑文谷と横浜のプライベート・スタジオを備えたピアノ型邸宅。その後、再度離婚しすべてを捨てて潜んだ白い塀沿いの渋谷区東のロンドン風アパートメント。そして90年には湘南逗子でしみじみと隠居人のように人生をかみしめたのも束の間、やがてLOVE2で再び決起し東京へと再び乗り込んでいく。こうしてこの作品発表当時の92年を超えても引っ越しは続いている。
短い歌詞の中に見事に刻まれた拓郎の転居の歴史は、拓郎自身の人生のみならずそのまま日本の音楽史にもなっている。
この転居の歴史を拓郎本人が再訪するドキュメントがTBSテレビの「情熱大陸」で放送されたことがあった。拓郎は「住んでいるとそこの風景に飽きる。模様替えがしたくなる。離婚も含めてすべては人生の模様替えだ。」と言い放った。すげぇ。しかし、2009年のドキュメント「終わりなき日々」では「人生最大の挫折は離婚。その人とうまくやれなかったということ」とその痛恨の心情を明かす。 まさに愛と哀しみと音楽とすべてが、ひとつひとつの場所を動くたびに刻まれていったのだ。これ以上のロックがあろうか。いくら内田裕也が「ロケンロール」と親指か中指を立てようとも「引越」それ自体が身体を張ったロックになる人間は吉田拓郎だけである。
この短調の暗さを湛えたメロディーは渋くてイイが、個人的希望を言わせてもらうともう少し明るい快活なメロディーでも良かったのではないか。それでも深い哀しみは十分に伝わったと思う。それにしてもさらなる引越はあるのか。そしてまた何かが動くのか、油断がならない。・・・油断しててもどうということにはならないが。それにしてもあまた数ある引越会社が、この作品をCMに使おうとしない意味がわからない。
2015.10/11