uramado-top

心のボーナス

1998年
作詞 忌野清志郎 作曲 忌野清志郎
アルバム「Hawaiian Rhapsody」

永遠の片思い、永遠に愛しあってるかい

 1998年のアルバム「ハワイアンラプソディー」、「LOVE2あいしてる」のバブルの真っ盛りに発表されたこのアルバムでは、ほとんどの作品を他人の作詞・作曲に委ねていた。特に忌野清志郎が作詞作曲を手掛けたこの作品には驚吃したものだった。
 なぜならキヨシローは昔から拓郎のことを「大嫌いだ」と公言して憚らなかったからだ。キヨシローは高校生の頃から「僕の好きな先生」「三番目に大事なもの」などのヒットをものにしていたから、拓郎とはほぼ同時期のデビュー。一時期は、拓郎の前座も務めていたという。「とにかく拓郎が嫌いで、前座の時も、アイツの顔からして嫌いだと、それでさんざん悪口言ってステージを降りてやった」と放言していたこともあった。
 一方で拓郎は、RCサクセションやキヨシローの音楽を昔から高く評価していた。後に桑田圭祐を絶賛したように、作品とキャラクターに溢れる奔放な音楽性に魅せられていたのだと思う。・・・言ってみれば、拓郎の片思いだ。
 後に1980年のラジオ(ヤングタウン東京)で、二人がたまたま一緒になったことがあったが、拓郎は親しげにキヨシローに昔のステージをともにした時の話をしたが、キヨシローは、殆どシカトしていて驚いたものだった。それでも、拓郎は怒らずに楽しそうに話かけていた。どちらかといえば人の好き嫌いがはっきりしている拓郎だが、たとえ相手が自分を嫌っていても、だから自分も相手を嫌いになるということがないんだなぁ。拓郎が相手を嫌うのは自分が許せないと思うからであって、たとえ相手方が嫌っても、自分が好きならばその気持ちに揺らぎはない。拓郎の貴重なるキャラクターの一端が窺えた。
 二人の壁が崩れ始めたのは、1993年に長崎でおこなわれた雲仙普賢岳救済のための初のスーパーバンドのステージを共にした時からだろう。その後、キヨシローも「最近は拓郎ともバンドも一緒にやってるし、今は会うと普通に仲良いですよ」とインタビューに答えていた。
 そして、この作品の提供に至るのだ。LOVE2にキヨシローがゲスト出演した時に、拓郎は、真顔で「素晴らしい歌です。大切に歌っています」と絶賛した。どこまでも敬意を表する拓郎が胸を打つ。
 実際にいい作品である。「大人のくせに自分のことで精いっぱいだったから」このあたりのピリリと効いた棘がたまらない。「ああ 心のボーナスが欲しい」のリフレインは私たちの心に沁み込む。才気あふれる痛快なナンバーである。
 その後、キヨシローが癌になり早逝されたことは記憶に新しい。亡くなる前に、2009年の拓郎の最後のコンサートツアーと言われたフォーラムのステージのチケットを手にしていたことがわかった。彼は、拓郎のステージを見に行くつもりだったのだ。大嫌いだったあの拓郎のステージに。彼は何を想い、彼が存命であれば何を感じ、二人の関係はどうなったのか。私なんぞにわかるはずもない。
 しかし、ゆるやかな時間の流れの中で少しずつ縮まっていった二人の距離を想うと、これも友情のひとつの形なのではないかとも思う。死してはじめて完成する友情、死してなお深まる思い。かくしてこの作品は永遠の一曲となった。

2015.9/13