恋はどこへ行った
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「午後の天気」
恋のゆくえを探して一緒にさまよって行きましょう
2012年のアルバム「午後の天気」の中では、陽性なメロディーとレゲエチックなリズムがシンクロした心地よいナンバーだ。アレンジは桑田圭祐・福山雅治らのギタリストとして有名な小倉博和。拓郎と本格的に組んだのはアルバム「こんにちは」からだと思う。「a day」で、どんよりと地を這うようなギターとベースの両方を担当し見事な技を見せてくれた。また前作「午前中に・・・」の名曲「季節の花」の清々しいアレンジとギターのイントロの秀逸さも忘れられない。細やかな表現力を感じさせるギターとアレンジ力が自分のようなシロウトにもビシビシ伝わる。もっといろいろな作品や活動で拓郎と四つに組んでほしいが、小倉氏のホームグラウンドである桑田や福山の活動、また小倉氏の盟友である小林武史が主宰するapbankの主要メンバーでもありと実に忙しそうなのでムツカシイか。それに御大は以前テレビで、小林武史に「キミ、スケコマシでしょ?」と思いっきり暴言吐いたりしたからな。オオウケだったが。
明るい曲調だが、レコーディングの様子をラジオで語ったとき、拓郎は「今、「恋はどこへ行った」という曲をレコーディングしているけれど、恋をするって事はもうオレにはできないのかなぁ。」と寂しげにつぶやいていたものだ。制約が多くて恋のチャンスに恵まれないのではなく、妻に恋しているからというのとも違う、いわゆる“恋するエナジー”が枯渇していくような寂しさを感じさせた。近所の70歳のおっさんが「恋ができない」と嘆いているのではなく、天下の吉田拓郎だ。言うまでもなく、これまで拓郎の恋するエナジーによって数多くの名曲・名演が作り上げられてきたことは言うまでもない。それは拓郎の信念でもあった。
「はっきり言ってやろう“いつも女と恋している状態にいること”こそが生きてゆく上で最も大事なことの一つだからだ~」「恋が出来なくなったら何かを捨てよう きっと自分の心の中か、自分の身の周りに精神を蝕んでいる何かが隠されているはずだから」(八曜社エッセイ「吉田拓郎 明日に向かって走れ」より)。
「いくつになっても恋人にしたいと思ったらオレは走るだろうね。それはステージにあがることと同じサ」(アルバム「TAKURO TOUR 1979」ライナーノーツより)
また80年のユーミンとの会話で「拓郎、もう相当遊びつくしたんじゃない?」というユーミンの問いに「いえいえまだまだ。ディック・ミネさんを見なさい、ああなりたいよ」とうそぶいていたこともあった。
大きなお世話だが「恋」ができない自分というのは拓郎にとって大きすぎる変化だったのではないかと邪推する。晴れた空と風に心ゆだねながら心にぽかりと穴が開いたような喪失感を歌ってみたのがこの曲かもしれない。恋心無くして人はいかに生くべきか・・・・という答えのない難題。特にこれといったテーマがないように見えるこのアルバム「午後の天気」の隠しテーマなのではないかと思う。 恋があろうがなかろうが御大の魅力には違いはない。それはそれ、行方不明の恋心を探して御大と一緒に旅するのも冥途の旅の一里塚というやつかもしれない。
2016.7/2