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来てみた

1972年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「よしだたくろうオンステージ第二集」

フォークではないというフラグの向こうに

 「俺はフォークではない」という拓郎の心の底からの叫びはなかなか理解されない。だいたいファンですら殆どスルーしている。今夜もフォーク酒場でフォークファンの大好物として歌われ、you tubeではフォーキーな自宅演奏が「cover」と題されてアップされる。
 そもそも「フォークの神様」として歴史に刻まれている以上、今さらフォークじゃないなんて世の理解は得られないかもしれない。イエスキリストが「私は実は仏教徒だ」というのと同じくらい受け入れ困難だ。もちろん、そんなことはおっしゃっていません>当たりめぇだ!
 しかし自分の音楽はフォークソングではないという、この拓郎の真剣で切実な叫びを、ファンとしては重大事として受け止めねばなるまい。この人の発信する音楽をシカと受け止めるための大切なフラグではないかと思う。もちろんフォークが悪いとか、フォークをバカにしているわけではない。大切なのはそこに「オレの音楽をちゃんと聞いてくれ」という御大のメッセージがあるところである。そうしないとこの人の音楽の大切な部分を感じ取れない危険があるのだと思う。フォークじゃなきゃ、それは何なのかを探すのもファンの楽しみの一つだろう。
 1971年8月にライブ録音された「たくろうオンステージ第二集」に収められたこの曲は、フォークではない拓郎を示す大切な証拠のひとつだと思う。 ギター一本の弾き語りだが、この刻み方と進行はもう心の底からブルースだ。吉田拓郎が自分のルーツだと宣言するリズム&ブルース(R&B)なのだと思う。イントロのギターのリフからしてソウルが溢れる感じでご機嫌だ。シャウトする歌いっぷりもたまらなくカッチョイイ。
 フォークとはほど遠いブルースではあるが、決して本家にかぶれているわけではなく、その詞の内容は、とても哲学的であり日本的であり、また個性的だ。どこに行っても身の置き場がない、人々の喜怒哀楽の営みを冷めた目で見てしまう、そんな孤独なさすらい人である拓郎のエッセンスが溢れている。これは今に続く大切な拓郎の視点だ。
 この作品で想起するのは、2002年の夏。ユニクロのテレビCM出演の時だ。白のTシャツでギターを抱えた拓郎が「そろそろビールが飲みたい時間だね~」と口ずさみ、この「来てみた」のイントロを弾きはじめる。ナチュラルで拓郎の魅力がにじみ出た素敵なCMだった。
 このユニクロのシャツは、拓郎が来ているとTシャツなのだが、われわれオッサンが着るとただの肌着にしか見えなくなるという厳しい商品だった。あらためて拓郎の力を想う。
「フォークソングでもなければ肌着でもない」この微妙でしかも厳然たる違いこそが吉田拓郎ではないか。そこに何があるんだろうか、それはなかなかわからない。

2015.10/25