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帰路

1989年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「ひまわり」

家に帰るまでがコンサートです

 吉田拓郎といえば、昔から「客のくせにデカい面するな」だの、最近は「君らの枯れ葉のような乾燥した拍手」だの観客に対する塩対応がデフォルトである。その反面で、コンサートの本編だけでなく客入れ客出しにまで細心の心を配っている。そしてこの作品のように観客のコンサートの帰り道のことにまで思いを運んでくれる人でもある。
 コンサートの帰り道というとアルバム「情熱」の”風の時代”が浮かぶ。青臭い若者の視点からコンサート帰りのドラマを描いている。それに対して、この"帰路"は年齢を経た聴き手に対してステージの人が温かなエールを送ってくれる。不可思議で難解なアルバム「ひまわり」の中では、わかりやすく、あたたかい雰囲気で最後を飾っている。イントロからしてもいかにもフィナーレという感じの壮大さがある。アルバムの殆どは打ち込み主体ではあるがこのサウンドには人肌のぬくもりがある。
 コンサートという夢のような時間が終わる。私たちは凱旋するような高揚した気分で夜風の帰り道を歩く。その幸福感とともにまた厳しい日常という現実が押し寄せてくる。「これが終わるとまたいやーな日常が待っているんだよ」。つま恋2006の拓郎のMCを思い出す。拓郎はわかっているのだ。非日常の音楽の幸せと日常現実の生活のせめぎ合いを私たちは生きている。その橋渡しのような繋ぎ目が帰路だ。拓郎は切々と帰り道の観客に歌いかける。

  君の切なさは誰もが抱いてるもの

  覚えたメロディ-を 唇でたしかめて
  今 君のはかなさは 誰もが抱いているもの

  こんな小さな 僕達はきっと
  いつか夜空の 星になるのだから

  ほら 君が唄うなら 誰もがほほえんでるよ

 ライブと日常との間にある帰り道をどこまでもやさしく包みこむ。観客への塩対応の上に時にはアイ・ヘイト・ユーとまでカマしてムカつくこともあるけれど、この歌を聴くとどんだけやさしいんだ拓郎と思わずにいられない。

 アルバムと同様、東京ドームを含む1989年ツアーのコンサートでも本編ラストで歌われた。あのライブは、東京ドームが完成からまだ日が浅く珍しい観光スポットだったからか、スポンサーの某生保の招待券で拓郎を知らない一般客も大挙して入場していた。私の隣席も、家族連れで遅れてきたうえに歌なんか聴いちゃおらず一家でタコ焼き食べながら、クソガキ…じゃない、お子様が帰りたいよぉと駄々をこねていらした。そういう系のたくさんの人々が演奏中にウロウロ歩き回っていて私は何度も怒りのためにめまいがした。そして極めつけは、この”帰路”の演奏中、招待客どもは本当にゾロゾロ帰り始めたのだ。なんじゃいこりゃあぁぁぁ。私は必死で神様に祈った。「コイツらが拓郎の曲の途中で帰ったことをいつか死ぬほど後悔する日が来ますように」。30年経ってもどうやら後悔している人がいなさそうである。

 もう一度ライブできちんと聴いてみたい。最後の最後に心にしみいる”帰路”の私たちを包みこんでおくれ。

2020.4.9