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君去りし後

1973年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「よしだたくろうLIVE'73」/アルバム「TAKURO TOUR1979 vol/2」/アルバム「豊かなる一日」/DVD「吉田拓郎ライブ・コンサート・イン・つま恋」/101st Live 02.10.30

はっぴいが結びつける心の闇と熱度のブルース

 "よしだたくろうライブ73"で初披露されて以来、ことあるごとに勝負曲の一曲として演奏され、御大の歴史とファンの心に刻まれてきた。
 ドラマチックな詞だとは思ってはいたが、岡本おさみの自著「旅に唄あり」に綴られた物語はドラマというにはあまり切なく哀しい。人生に絶望しやさぐれた日々に喘いでいた放送作家の岡本おさみ。二日酔いで嘔吐しながら「空は汚れた鉛色で心は読み捨てられた新聞紙みたいだった」と呻くように語る。そんな時に新宿のライブハウスで出会った無名の女性シンガーの歌に心救われる。「心の中のいちばん深く悲しいところに手のひらを置くような温かさ」…荒みきった自分の心を重ね合わせる様に共感しあう。やがて芸能プロへとスカウトされ、歌謡曲の歌手となり、岡本のもとを離れてゆく。たぶん彼女はその後さして有名にはならなかったことが推察される。この詞には、愛憎とも悔恨ともつかない心情が託されていることがわかる。

 それにしても「好もしからざる女だった君の監禁された歌を聴いていると…」。おそらく 字数とか言葉のリズムとかなんにも考えていないだろう詞に、よくメロディーがつけられたものだと思う。ドラマチックではあるけれど、べったりとした冗長な言葉が、拓郎によって見事に切り刻まれてビートとリズムに乗せられて生き生きと音楽として展開する。おかげで二番の「操っている男どんなやつなんだろう」「もう帰ってこなくてもいいよ」「味噌汁みたいな恋歌」等のとんがった言葉がより扇情的な怒りと悲しみに満ちて聞こえる。
 特に最後の「君が去った後は」をリフレインさせながら、そこに「てんで はっぴいになれないんだよ」を絡ませていくという3Dのような立体的な構成。聴く者の心にこれでもかとたたみかけてくる。いつもの間にか、♪君が去った後は・・・のリフレインのうねりの中に自分も取り込まれているのに気づく。ああ、実に見事だぜ。
 ライブ73であるため、ビッグバンドの重厚な演奏が拍車をかける。ここでも若さの放縦のように高中正義が思い切り弾く弾く。その演奏が間奏でブレイクして田中清司と岡沢章のドラムとベースのかけあい。超絶ソウルな感じがたまらない。フォークやらロックやら歌謡曲やら、そんなことはどうでもよくなる名演がここにある。この翌年の74年の「愛奴」とのツアーで、若きドラムス担当の浜田省吾が、この田中清司のドラムを再現しろと言われて困り果てたという話をしていた。それほどまでの高みにある演奏だった。

 初演のライブ73を初め、ステージでの名演は数あり甲乙つけがたい。2000年の冷やしたぬきツアーでは、堂々とオープニングを飾るナンバーとして君臨した。その数々の歴史の中でも、映像に残っている75年のつま恋のラスト・ステージでの演奏は観るたびに、血が湧きたつのを抑えきれない。ボーガルはガラガラだけれど、熱狂の中で、若鯉がピチピチはじけるような御大の姿。最高のノリを魅せる瀬尾一三オーケストラの演奏がたまらない。細かいが、一番の「君が去った後は」のリフレインのところで、御大は、珍しくギターから両手を離してノっているところが、OH!ぷりてぃだぜ。短パンから意外と細い脚を出して指揮する瀬尾一三、時々ニヤニヤしながらキーボードを弾いている松任谷正隆までがいとおしい。絶品とは、この演奏のためにある言葉かもしれない。

 ところで女性シンガーとの切ない傷跡を綴った岡本おさみの先のエッセイは、最後に、つま恋75の野外で、この"君去りし後"で踊り狂う解放区のような若者の群れを静かに見つめながら、"もう怨むまい もう怨むのはよそう"というフレーズを心に反芻するシーンで終わっている。何とも感慨深い。
 御大に熱唱・熱演されたこのナンバーの底には、岡本さんにしかわからない凄絶な傷跡が隠されており、逆にいえば、この傷跡の闇が、岡本さんが思ってもみなかった熱い音楽として昇華される。吉田拓郎×岡本おさみという触媒のとてつもない深さと強さを思うしかない。

2017.8/5