君のスピードで
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「君のスピードで」/アルバム「Long time no see」/アルバム「こんにちわ」/DVD「吉田拓郎LIVE~全部だきしめて~」
静寂から得た不動の距離感
シングルカットされたアルバムの代表曲だが、どれだけ大切な曲かは、むしろその後の拓郎の取り扱い方を見ればわかる。幾多のステージでの勝負曲として活躍してきたし、例えば、ラジオ番組やハワイツアーなどの余興で、即興で歌わなくてはならなくなったとき、この作品に頼ることが多かった。この作品は、90年代以降の吉田拓郎のテーマ曲といってもいいと思う。
何度も言ったが、さまよえる冬の時代が続いた90年代前半。コンサートもアルバムも目立った音楽活動は極端に少なくなり、世間から吉田拓郎が消えつつあった時代。拓郎は、バハマに行き、この作品を完成させた。バハマのレコーディングを同時中継していたFM東京の「クラブ25」という番組があった。提供スポンサーもなく深夜ひとりで語る吉田拓郎。あの番組に流れていた少し寂しげな静けさとこの作品の感触は重なる。そして、この作品を出口として、その先に、LOVE2の成功からつま恋への道もあったのだと思う。
この作品にみなぎる「静けさ」。それまで拓郎は静かなバラードを歌っても、どこかで魂の律動のようなものが息づいていた。しかし、この作品にはどこまでも「静けさ」が漂う。静寂の海を小さな船が滑り出すような「♪こんなに人を愛せるなんて・・・」という導入。拓郎のボーカルはどこまでも穏やかに流れて行く。そして何よりこの詞は素晴らしい。
独断で乱暴に言い切ってしまえば、吉田拓郎はすべての作品を通して、人と人との「距離感」を歌ってきたのではないかと思う。親子・家族・夫婦・恋人・友人・仲間・そして敵対する人や世間の人々。
愛するがゆえに距離を縮めては傷つき、愛するがゆえに敢えて距離を取り苦しむ。好意や善意の名のもとに押し寄せ距離を縮めてくるものに注意深く距離を置き、時に戦わなくてはならない。あらゆる人々とのあるべきそれぞれの距離。吉田拓郎の歌の旅は、本当の「距離」を求め迷う旅であり戦いだったのではないか。
しかし、この冬の時代は、時代の流れや世間の喧噪またファンの歓声すらも、遠く離れたエアポケットに拓郎を放置した。その静かな時間の中で、拓郎は、おそらく自分の心、そして伴侶とも向き合うことになったのだと思う。そして自分と伴侶の心を辿りながら
「君のスピードで僕のテンポで」「ずっと遠い昔過ぎたものは二人に本当の距離だったのに」
という歌を書き上げた。まさに、冬の時代の静けさが、この作品を作らせたのだと思う。
拓郎はここで「同行二人」ともいうべく伴侶との大切な距離を確認し、それと同時に、自分と外の世界の距離をも定めたのではないか。怒りも悲しみも狂おしい愛の中でも、人との距離を迷わない。ある種のあきらめをも含めた、そんな静かな確かさを感じる。だからこそ、大切な場面で繰り返し距離感を確認するようにこの作品を歌うのではないか。
そしてこの作品のしめくくりともいうべき「やがて今日も移ろうけれど時に逆らわず君の名を呼ぶ」のフレーズは、メロディーも含めてなんとも美しく、これまでにない力強いさが伝わってくる。
海外録音だと詞と演奏に妙なミスマッチが生じてしまうことがあるが、この演奏はこの作品の心の襞を十分に知り尽くしたような繊細な演奏で驚く。特に間奏のラップスティールの繊細な音色は、これだけで泣けそうな一篇の作品のようだ。言葉を越え音楽家というのは凄いものだと思う一曲でもある。 とはいえ言葉が通じる国内での「こんにちわ」のカバーはどうもなぁ。だいだいアップテンポへのアレンジ変更は、失敗することが多いような気がする。漫画。アニメの実写化みたいのものか。 いずれにしても90年代を代表するスタンダード。この作品は、私達ファンの老荘の境を迎えての道しるべみたいなものではないかとすら思う。
2015.10/25