消えていくもの
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「こんにちわ」/DVD「Forever Young Concert in つま恋 2006」
思い出からこぼれゆくものたちに
最初しばらくはなんだかなぁと放置していたが、つま恋2006の大舞台で拓郎バンドの爽快な演奏、そして2016年のツアーを聴くうちに心に引っかかりだした。遅いか。
御大は当時、この「消えていくもの」のリズムと曲調は「日本では吉田拓郎と小室等しかできない」と豪語していた。確かに、この陽気なリズムを御すことができるシンガーはそうはいない。小室等については♪ボクのねぇちゃん~女だぞぉぉぉを指しているのではないかと思う。
時代とともに「消えていくもの」を歌った歌は世間にたくさんある。それらの歌の主題は大切な人、家族、若さ、故郷など、かけがえのないものであり、浜田省吾あたりは「この惑星(ほし)」だったりする。でかいよ。
しかし、この作品では、話をしたこともない煙草屋のおばちゃん、仁丹先生、名前も知らぬその筋の女性・・と映画でいえば、人生の主題とは関係ないような脇役・通行人のようなささやかなものたちだ。だからどことなく作品としてのインパクトが弱い感ずる。例えば「姉さん先生 きれいな先生」と聴くと甘美な思いに共感できるが、「仁丹先生」はほんとに臭ってきそうでヤだなと・・歌に共感しづらい。
御大は「思い出という大袈裟な感情ではなく」と歌うように、あえて思い出の主役や主題からこぼれおちてしまうものを拾い上げて歌っている。風景の片隅に埋もれてしまうもの、とりたててなんの意味も持たないようなひとつひとつのものが、その人をつくりあげて成長させてゆく。御大はそんなささやかなものを大切に取り上げ心を寄せる。御大という人の心優しい人品骨柄が浮かび上がる。
そして、煙草屋も仁丹もその女のひとも単なる器にすぎない。その器に聴き手のそれぞれの自分の「消えていくもの」を大切に入れこんで聴いてみようという歌ではないか・・と思い込む(笑)。
そう思って聴き直すと「あの人がいて風に吹かれたあの日の景色」というこの詞のフレーズが実に心に沁み「消えていくんだね。消えてしまうんだね。」「少し泣きたくなる ちょっと悲しくなる」のリフレインが切なく心に刺さる。少しおどけた感じで歌う表現力のうまさ。埋もれてしまいそうな小さなものを大切に取り上げながら、決して感傷に足を取られないように陽気に歌う。見事だ。
消えいくものが増える歳とともに味わいが深まる一曲ではないか。
2016.11/13