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決断の時

1994年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「決断の時」

音楽家としての決断の時

 ファンにとって拓郎の新作CDは、あらかじめ宣伝告知された発売日を首を長くしながら待ち焦がれて買うものだ。しかし、この「決断の時」のシングルCDの発売日を待ち焦がれて買っというたファンは何人いるのだろうか。
 私はたまたま入ったCD店の「よ」のコーナーで「吉幾三」「吉田栄作」とかと混ざってひっそりと佇んでいる姿を発見してびっくらこいたものだった。いつの間に!?あれだけアンテナを張っていたのに、発売日の告知も宣伝も殆どなかったはずだ。あのときの底冷えのような寂しさが忘れられん。94年とはそういう時代だ。コンサートもなくアルバムもなく世間の流れから「吉田拓郎」がフェイドアウトしつつあった冬の時代。
 翌95年になって拓郎はバハマでレコーディングをして音楽への意欲を取り戻し、その翌96年から「LOVE2あいしてる」が始まり、拓郎の存在は盛り返していく。夜明け前の闇が一番暗いように、そんな復活の流れの直前のあたりの暗さが反映しているようだ。まさに拓郎の決断前夜のだったのかもしれない。
 この作品はNHK時代劇ドラマ「大江戸風雲録」の主題歌だった。知らんよね。もうドラマからしてB級で切ない。この作品にはそういったその当時のあらゆる寂しさが滲み出ている気がしてならない。いかにも時代劇なイントロ。フォークからもロックからも遠く離れてしまったかのような大正琴のようなイントロ。そして、特に歌中の拓郎の「HOHOHO~」は、寂しさ、疲労、諦念が佃煮のようになって淀んでいて、これまた寂しい味わいがある。
 しかし、そのような寂しさの佃煮のような状況であってもも、この歌は捨て置けない。寂しいからと放置することはできないクオリティと味わいがあるのだ。
 主人公の私は「女性」だ・・・よね。2月の雪の朝、あの人とともに生きようと決心する。それから、5月、9月、12月そして最後4月まで1年間以上の時の流れを描く。具体的に何があったのかは描かれないが、「私」がさまざまな寂しさや試練を味わう。それらを通して精神的に自立していく様がうかがえる。名曲「元気です」を思い出す。
 「迷うからこそ、真実の流れに近いはず」「何かのためでなくていい」・・・拓郎の哲学が詞の随所に覗く。相手に依存するのではなく、自分の心を深く見つめて自立し、自立した自分として、「愛してすべっても もう離れまい」と相手と生きていくことを決断する。いわば「決心」が自立を経て「決断」に変わっていかのようなくドラマであり、それは力強く清々しい。さすが吉田拓郎。描き方が一風違う。
 寂しく地味で世間からも打ち捨てられたかのような印象のこの曲だが、冬場に健気に咲く花のように清廉だ。とらわれも余計な気負いもない分とてもピュアに拓郎の歌心があらわれている気がする。
 後日、拓郎はデモテープをHPで公開していたが、ほぼ完成形に近い精巧なものが打ち込みで出来上がっており驚いた。淋しい冬の時代ではあったが、それはクオリティが低いことを意味するものではない。むしろ逆だ。売れ行きなどとは関係なく、丹念に音楽と取り組んでいる拓郎がいる。だからこそ、この時代の音楽は、実に愛おしい。

2015.9/13