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結婚しようよ

1971年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「人間なんて」/シングル「結婚しようよ」/アルバム「TAKURO TOUR 1979」/アルバム「みんな大好き」/ビデオ、DVD「吉田拓郎アイランドコンサート」

その時、歴史は動いた、軽やかに、のびやかに、したたかに

 吉田拓郎と言えば「結婚しようよ」というのが昔からの世間の通り相場だ。しかしファンとしては、は「拓郎にはもっと素晴らしい作品がたくさんあるのに・・」と複雑な思いがある。なので、今も日常的にこの曲をありがたく聴いているファンというのはそんなにはいまい。しかし幾星霜を経て、久々に聴き直すとまたまた違う感慨が湧き立つ。
 ノー天気で軟弱な詞だと当時のフォーク界からは非難のマトになった歌詞。しかし、今あらためて読み返すと・・「僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら」「もうすぐ春がペンキを肩に」「白いチャペルが見えたら仲間を呼んで花を貰おう」「二人で買った緑のシャツを僕のおうちのベランダに並べて干そう」・・・どこを切り取っても、そこいらのコピーライターに負けない見事なキャッチコピーで出来上がっていることに気付く。シンプルだが実にグレードの高い詞だぜ。

    メロディー&サウンドも、最初は愛するおケイさんのために弾き語りで作ったフォーキーな作品だった。それが「加藤和彦」の総指揮によって、当時まだ若き無名の松任谷正隆、小原礼ら俊秀が集められ、バンジョーにフラットマンドリンに果ては加藤和彦の自宅の椅子まで叩いてリズムを録りなど"トノバンのマジック"によって、フォークとは全く異相の新しい音楽が誕生したのだった。加藤和彦のボトルネック奏法を見せられゾクゾクしたことは今なお拓郎の胸に残っているようだ。「よしだたくろう」という一青年が、狭いフォークの世界から抜け出して音楽家としての大舞台に打って出る跳躍台にもなったのがこの作品だ。ちなみに松任谷正隆もプロの音楽家のキャリアにあたって「加藤和彦に見いだされて結婚しようよでデビューした」と出自を語るところだ。
 新しい音楽であるがゆえにフォーク・ファンからの「帰れコール」という壮烈な袋ただきにあったことは今や日本史の教科書にも載っている。嘘だ。載ってねーよ。
 
 その「帰れコール」の呪いが解けたのは、75年つま恋だった。6万人の大観衆の前で、この作品を歌うことが心底怖かったと拓郎は述懐する。しかし予想に反し大喝采をもって迎えられた。音源を聴くと拓郎は歌いながら嬉しそうで笑いがこぼれている。実は緊張が一気に溶けて歌いながら放屁したので自分でも可笑しくなったのだという。
 その後も79年篠島で伝説の「OK松任谷」のフレーズを生んだ松任谷正隆の手風琴が嬉しい名演奏を始め、ライブの名演は枚挙に暇がない。そして2005年にはパチンコ「夏休みがいっぱい」のためにビッグバンドでゴージャスな演奏で再現された。・・あの音源はどうなったんだろうか?
 2004年に筒美京平がNHKBSで自らの作曲家経歴を語ったとき「吉田拓郎くんが『結婚しようよ』で出てきたとき生まれて初めて怖いと思った」と語った(CDBOX「筒美京平大全集」にも活字で採録)。あの天才筒美京平を震撼させたのもこの曲だ。やはり天才は天才を知るのだろう。
 というわけで、歴史も怨念も思い込みも捨てて、この作品の本当の力をいまいちど再評価するときなのかもしれない。それに、この歌を本当に好きなっておくと、何かと便利かもしれない。どんな場末のスナックのカラオケにもこの曲だけは入っているし、流しのおじさんも必ず知っているから。って、どういう便利さだ。
 で、この作品の来歴を振り返りつつ、忘れずに想いを致そう「加藤和彦よ永遠なれ!」

2015.9/13