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風をみたか

1985年
作詞 松井五郎 作曲 加藤和彦
シングル「風をみたか」

吉田拓郎が置いて行った"夢のつづき"

 1985年9月、つま恋85の余熱が続く中、つま恋のライブ盤の先行シングルとして発売された。というわけでカップリングは、つま恋85の「夏休み」だ。トヨタのワゴン車のCMソングに起用され、つま恋の会場でも宣伝チラシが配られていた。
 これまでイベントの余勢をかって発売されるシングルは、それなりに力が入っていた。例えば、つま恋75の時は「となりの町のお嬢さん」、篠島の時は「春を待つ手紙」。しかし、この作品は危うかった。何が危ういか。作詞が拓郎ではなくて松井五郎、作曲が拓郎ではなく加藤和彦、編曲が拓郎ではなく瀬尾一三・・これでウッカリ歌ってるのが拓郎じゃなかったら、まったく関係ないただの曲だ。当たり前か。加藤和彦の作曲ということは、翌年のアルバム「サマルカンド・ブルー」に至る加藤和彦との蜜月というかプロジェクトの一環だったとも思える。とにかく本来だったら勝負シングルとなる作品を他人に作詞も作曲も任せたという事実は大きかった。
 「拓郎引退」とも言われたつま恋85。「何かから降りてしまった拓郎」の姿を象徴するかのようだった。あのときの祭りのあとの寂しさのような、ぽっかりと穴の開いたファンの心。そんな、つま恋が終わって、ファンの何かが燃え尽きたときにこの作品はやってきた。
 オリコンによれば実売4000枚ということでつま恋の観客のほぼ10人に1人しか買わなかったことになる。しかし拓郎は、そもそも、そういう「勝負シングル」などという束縛やプレッシャーから自由になりたかったかのかもしれない。「もうそういうのは終わりなんだよ」そういう声が聞こえてきそうだ。むしろ本人は、ゆったりと気楽で小気味よかったのかもしれない。ちょうどランナーがレースが終わった後に脱力で走るウィニングラン、フィギュアスケートで言えば競技終了の翌日ののびのびしたエキシビション演技のようなものか。
 そう思って聴くと、松井五郎の詞も加藤和彦の曲も微妙に拓郎らしさを意識していて清々しい。何より自由を得たような拓郎の歌声が実に伸びやかだ。

   「さよならのあとに また駆け出すために」「果てしない空にただ石を投げるため」

 このあたりの詞とメロディーが若々しいみずみずしさに溢れている。あまりに拓郎ファンの心を素通りしてしまったためか、松井五郎の作品歴にも残っていない。状況が状況にせよ、無かったことになろうとしているかのような流れが残念だ。特に二人ともエイベックスであれば、リターンがあってもいい。時々棚卸して、拓郎の艶と伸びのあるボーカルに酔いしれようではないか。

2015.5/4