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風のシーズン

1981年
作詞 松本隆 作曲 吉田拓郎
アルバム「無人島で」

ホントは怖い恋愛の教祖

 1981年の12月発売のアルバム「無人島で・・・」に収められた。しかし初披露は、その年の夏に、武道館や九電体育館などを回った通称「体育館ツアー」のライブでのことだ。「この指とまれ」「春を呼べⅡ」「サマータイムブルースが聴こえる」「Y」など、当時はまだレコード化されていない未発表の新曲がステージで初めて演奏されるという異色のライブだった。異色というだけでなく、その選曲、演奏、歌唱、観客の気合すべてにおいて出色の素晴らしいライブだった。 その一角をしめたのが、「風のシーズン」だった。いいタイトルだ。拓郎も体育館ツアーのライブの告知で 「風のシーズン・・なんて素敵な新曲があるから」と宣伝していた。しかし油断をすると「だから風邪にはルルよ」という竹下景子か三田佳子の声が聴こえてきそうだ。ま、「風邪」なんて歌を作っている本人のせいでもある。
 ライブでの初披露とその後のレコードのアレンジではかなり違っていた。ライブでは、ジェイダのコーラスが全面に出て曲を牽引していく、トロピカルなアレンジが素敵だった。ライブでのギターが鈴木茂で、レコードが青山徹ということでも印象が違った。ともかくライブでは涼やかな風が抜けていくようなメロディーが、初めて聴く耳にも心地よかった。 しかし、後にレコード化されて、じっくりと詞を読むとまた様相が違ってきた。泣くようなギターに寂寥感を煽られるようだ。
 詞は松本隆だ。拓郎は、この時の松本隆との作詞方法として、拓郎がタイトルとアイデアを考えて与え、それを松本隆が一篇の詞とする手順だったと語っている(ニューミュージックマガジン81年12月号インタビューより)から、たぶん「風のシーズン」というタイトルは拓郎の命名だ。   一方、松本隆は、きくち伸の「楽屋インタビュー」という本で「拓郎は、途中まで自分で詞を作ろうと頑張って、でも途中で挫折して困って、ボクのところに持ってくるんだ。駆け込み寺だよ。」と語る。ひとつの同じ事実が、モノは言いよう、二人の見方によって全く異なって見えて面白い。それはいいとして。
「君の麻の服の糸の縫い取りに夏の気配が息を潜めてる」・・このあたりの美しい詞と繊細なメロディーの調和は素晴らしい。眩しい夏の出会いと冬に終わる恋。
 しかし、よく詞を読むと実に残酷な詞ではないかい。「君の眠り顔に何故か見飽きて ふと目をそらす」 すげーフレーズだ。失恋・悲恋の唄はこの世に星の数ほどあれど「見飽きた」とはっきり言葉にする歌があったろうか。それも恋愛の教祖と尊崇される松本隆の口から聞こうとは。もちろんこれは女性だからという問題ではない、男であれ女であれ恋する者は、油断して寝顔なんか見せちゃいけないという深いメッセージを感じる。そうじゃないか。また「時の流れも黙りに来るさ」というところは、雑誌の楽譜では「黙りこくるさ」になっていたが、黙り「に」来るとは少し意味がわかりにくい。どうも拓郎が「こ」と「に」を読み間違えた気がするがどうだろうか。
 「風のシーズン 僕には四季がない」拓郎ファンにも四季はない。「拓郎が歌う幸福な季節」と「歌う拓郎をひたすら待つ辛抱の季節」の二つだけだ。

2015.12/5