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風の時代

1983年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「情熱」

コンサート帰りのすべての若者たちへ

 若き日の恋愛の甘くホロ苦い思い出を描くこの作品は1983年11月のアルバム「情熱」に収められた。森下愛子との恋愛旋風が吹き荒れるこのアルバムの中では、「若い人」「何処へ」とともに「避難場所」のようなアクセントとなっている。歌詞の中に、当時の流行歌として「心もよう」「神田川」が実名で出てくる。ということは1973年当時のことだから、拓郎本人の思い出での話ではないだろう。
 以前にも書いた当時のラジオ関東の「吉田拓郎の世界」というショボイ、ラジオ番組。ある時、渋谷高行マネージャーがゲストだった。マネージャーがゲスト。すごいのか、すごくないのか、よくわからない。たまたまリスナーから「風の時代」がリスエストされた。司会者が「渋谷さんこの曲の聴きどころは何でしょうか?」という質問に渋谷マネージャー「ボクはあまりこの曲好きじゃありません。」と答え、びっくらこいたものだった。マネージャーをゲストに呼ぶ番組も番組だが、曲が気に入らないと堂々と言ってしまうマネージャーもマネージャーだ。さすが渋谷マネージャーの面目躍如だ。ファンからみても、怖くて、優しくて、それでいて頼もしく信頼できるというような、カリスマ・マネージャーは、とんといなくなってしまった気がする。
 さて作品だが、ウツウツとした学生のボクがコンサート帰りに彼女に声をかけて勇気出して立ち直るという・・5月病回復記のような詞と言ったら怒られるか。メロディーもなんとなく「旅の宿」を元気に歌うとこうなる・・というようなメロディーと言ったらもっと怒られるか。客観的には作品としてイマイチ感がなくもない。
 しかし、それでも捨て置けない作品である。ひとつには「コンサート帰りの夜」と言うフレーズ。聴く人それぞれに熱い想い出が湧きあがってこよう。コンサートがハネて舞い上がり興奮した夜の帰り道。例えば武道館の北の丸、渋谷公会堂の公園通りなどなど。人それぞれにあるかけがえのない思い出だ。
 また超個人的には、無気力でサエない主人公が、地味でパッとしない学生だった自分に思い切り重なる。当時やっと彼女ができて拓郎のコンサートに一緒に行ってもらった時の緊張と嬉しさ・・・拓郎の歌を支えに生きていた拓バカ青春の日々が蘇る。この歌の主人公のように拓郎を聴いていた若者も少なくなかったのではないか。「あの日が忘れられない。無気力だったこのボク、力も湧いたよぉぉぉ」のところが妙に切なく心に響く。ただの風のようだった時代。そこは今も変わらないが。それにしても1983年頃の拓郎はよく「ファンなんてクソ喰らえ!」「ファンのことなんて知らん」と傲岸なことを言ってたが、この詞は結構ファンのリサーチと配慮が効いてる気がする。うーん、やっぱりいい作品じゃないか。

2015.9/23