風になりたい
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「俺が愛した馬鹿」
提供曲の頂点、本人歌唱の底辺
1976年フォーライフレコード新人第1号の川村ゆうこのデビュー曲。そのプロデューサーである拓郎が直々に詞と曲を書き下ろした。「5人目のフォーライフ」ということで、アレンジに松任谷正隆を加え、実質的には、フォーライフの初陣だった。川村ゆうこのデビュー当時、拓郎は雑誌「フォーライフ」のインタビューで、「自分はテレビに出るとき一曲で勝負することができなかった。だから20分の時間をくれと言い続けてきた。でも、この曲は一曲3分間で聴く人を唸らせることができる」と豪語していた。御大の渾身の作である。
時を経て2006年のつま恋の直前のインタビューで、今までに作った提供曲で一番気にいっている作品は何か?と尋ねられて、「風になりたい」を挙げた。フォーライフ設立当時の思い出なども交錯するからかもしれない。そういえばフォーライフ設立から一年くらいの間って、拓郎だけに限らず、泉谷、陽水、小室さん、川村ゆうこ、レコードが出るたびに私らファンは気にして注目していた記憶がある。この作品は川村ゆうこの少し鼻がつまって、ふてくされた歌声とともに、私達の記憶に刻まれている。76年のセブンスターショーで、拓郎がコーラスをつけていたのも忘れられない。川村ゆうこやフォーライフがどうだったかという賛否や論評なんかを超えて、もうかけがえのない思い出の殿堂入りをしている。
それにしてもなんと美しいメロディーだろうか。本人の思い入れのとおり、あまたある提供曲の頂点をしめる曲かもしれない。作り上げたというより拓郎の中から自然に湧いてきたような、なだらかなメロディー。御大の詞も美しい。「想い出つくり」という言葉も当時としてはかなり早かったのではないかという気もする。「私を離した時のすきま風」の譜割。♪「離した時の」すきま風、♪離した「時のすきま風」のダブルミーニングのような詞も素晴らしい。最近のラジオでの話だと夫婦関係でモヤモヤして眠れない夜にリビングで書いたらしい。やはり御大は身体ごと音楽なのだ。
よく考えると、沢田聖子、我那覇美奈、中ノ森バンドと多数のシンガーにカバーされている。原曲の作品としてのクオリティの高さとそれぞれシンガーの個性とが相俟ってどれも味わい深い。ことに拓郎に一緒にデュエットしたいとまで言わせた中ノ森バンドのバージョンは力強く、折しも御大のツアーが中止になった苦境の時、まるでエールを送ってくれているかのような歌唱にファンとしては感謝したものだ。
そうこうしているうちに2014年には、島村英二、エルトン永田、徳武弘文、石山恵三というロックウェルチームによって、川村ゆうこさんの本人歌唱を聴く機会を得た。やはり本家の魂の歌唱を魅せつけた。
そんな数あるカバーの中、一番トホホだったのが、1985年のアルバム「俺が愛した馬鹿」でセルフカバーした本人歌唱だ。異論はあるまい。意味不明のコンピューターの打ち込み、ほぼ曲と無関係に鳴っている打ち込みのドラム。特に、歌と演奏が終わっても、このコンピューターのドラム音だけがスイッチの消し忘れみたいに延々と悪夢のように続くのもたまらん。これはやり直すしかないのではないかと僭越にも思う。頼むから「再」セルフカバーで私達を呪いから解いてほしい。
2016.1/9