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川の流れの如く

1971年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「人間なんて」/アルバム「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」

ああ川の流れの如くぅぅぅ

 実数調査をしたわけではないが、ひところのアマチュア・ロックバンドにとって、「たどり着いたらいつも雨降り」と「川の流れの如く」というのは二大神曲だったと推察する。拓郎ファンに限らず多くのロック少年がこぞってカバーしていた印象がある。確かに、理屈抜きにカッコイイ。まさに音楽と一体になれるようなナンバーだ。
 もちろん「川の流れの如く」のコピーのお手本となったのは1971年のアルバム「人間なんて」所収の木田高介とリトルモアヘックの演奏のオリジナル版だろう。ほとばしる川の流れのような爽快な疾走感。ボーカルもギターも管も走る、走る。ああ、カッチョエエと魂が震える。特に、ラスト後奏のフレーズのリフレインが厚く重なってなだれ込んでいくエンディングはたまらない。
 デビュー間もなく作ったのだろうが、川の流れに人生を重ねあわせるという哲学的な詞は、今聴いても決して古びていない。その後の拓郎の作品世界のエッセンスというかエキスのようなものだ。その奔流から枝分かれして例えば「流れる」「車を降りた瞬間から」などいう歌の流れが生まれていると思う。
 詞といえば、かねがね言ってきたのだが、今やスタンダードの中のスタンダードとなった美空ひばりの「川の流れのように」。これは間違いなく作詞家の秋元康が、拓郎から「エキス」をいただいているのではないか。秋元がかつて拓郎ファンだったことを告白していたことからも確かだと思う。

     「知らず、知らず歩いてきた長く細いこの道」(美空)
     「心を動かされながらもこの道を歩いてきました」(拓)
     「ああ 川の流れのようにおだやかにこの身を任せていたい」(美空)
     「ああ あの川の流れの如く 何かに身を委ねて」(拓)
 
      似ているかどうか「総選挙」で問うてみたい。あのな。まぁボブ・ディランの曲に「川の流れをみつめて」というのがあったりするので、今日はこの辺で勘弁しといてやらぁ。
 1972年にはミュージックフェアで、フランク・シナトラの編曲家・指揮者で有名なドン・コスタという方の指揮で管弦入りのゴージャスなビッグバンドで歌われた。絶品。音の厚さとスピード感が見事に両立している。そこに拓郎の熟成中のシャウトが響く。ううむ、ドン瀬尾のビッグバンドで是非とも再現して欲しかった。つま恋85を忘れたわけではないが、あのアレンジは、演奏にうねるような疾走感が足りない気がする。
 自らの人生を深く見つめ省みながら、しかし風を切って魂を前へ前へと進める。一見相反するような二つの心の動きが、矛盾なくひとつになっているところがこの歌の深奥の魅力で、この歌は聴く者にも快感と感動を投げかける。ああ川の流れのようにおだやかにこの曲にこの身を任せていたい。あのな。

2015.12/12