悲しくてやりきれない
作詞 サトウハチロー 作曲 加藤和彦
アルバム「ぷらいべえと」
だいじょばない、マイフレンド
原曲はフォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」に続く第二弾シングル。などと言うよりも、フォークのみならず日本の音楽界のスタンダードと言って良いだろう。作曲者の加藤和彦へのレスペクトから1977年のアルバム「ぷらいべえと」でカバーされた。
連日の深夜レコーディングと体調不良からか、思いっきり鼻声だ。しかし、この拓郎の歌、すごくウマくないかい?鼻声というハンデも逆に切なさを表現する武器として見事に使いこなしている。なんと優しくやりきれない歌と演奏だろうか。よくカバーの時に、「オレの方がうまい、歌いこなしてやるぜ」、という高慢な根性が見え隠れする歌手がいるが、拓郎のカバーは違う。歌への敬意と寄り添う心がある。そこがたまらなく素敵なのだ。
加藤和彦。西も東もわからない 新人の拓郎に、伝説のギター・ギブソンJ45を調達してくれた男。「結婚しようよ」を見事なアレンジとプロデュースによって「吉田拓郎」の名とともにこの世に送り出してくれた男。松任谷正隆、高中正義といった一流ミュージシャンと拓郎との邂逅を橋渡してくれた男。フォークの世界に投げ込まれた拓郎を本格的な音楽の世界へと旅立つ道をつけてくれたのが加藤和彦だ。 年下ではあるが拓郎が心から尊敬していたというのは本当だろう。
かねてから拓郎が敬愛していた作詞家・安井かずみとこの加藤和彦の結婚は衝撃的だったと拓郎は語る。ともかく安井・加藤とのタッグも拓郎の歴史に刻まれていく。しかし拓郎は、常に「安井かずみ」への敬愛というフィルターをとおして加藤和彦を見ていたようだ。
拓郎は、加藤の死後、そのことを率直に語った。天賦の才に恵まれながらそれを空費する、子どものような虚勢を張る、時に妻に暴君のようにふるまう・・・拓郎はそんな加藤の側面も見つめていた。生前「拓郎、この人のことをお願い・・」と託した病床の安井かずみが逝去してからの早すぎる加藤の再婚。拓郎はこれに納得いかず、自然と加藤と疎遠になったという。
何も今更そんなことを語らなくともと言う気もする。しかし、亡くなったからといって、よくあるように臆面もなく、親友だった、大切な人だったと嘆き悲しむような、そんな薄っぺらなリップサービスは拓郎にはできなかったのだ。・・・と思う。自分が加藤をどう見ていたのかも隠さず率直に明らかにした先でしか、自分と加藤の関係、そして安井かずみとの関係は語れない。ここにこそ吉田拓郎の魅力の一端がある。
拓郎は、加藤が亡くなる少し前「あいつと一緒にやりたい」とラジオで語っていたし、訃報を聞き「加藤、少しはオレを頼りしてくれよ」とも語る。いろんな経緯があったにせよ、加藤は大切な尊敬すべき友達であること。自分はその大切な友達を失ったことを痛切に感じているに違いない。
すべては、一般Pの勝手な思い込みだが。「加藤和彦よ永遠なれ」と拓郎はしめくくったが、この拓郎の思いとともに永遠であってほしい。そう思うとたまらんぜ、このカバー。大きなお世話だが、加藤和彦、安井かずみという二人の盟友を亡くして、ひとり悄然と行く拓郎の心中を思う。
2015.12/5