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悲しいのは

1976年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「明日に向って走れ」/アルバム「王様達のハイキング(IN BUDOKAN)」

悲しいからこそ魂はラテンに律動するのだ

 これはひとつの楽曲というより「魂の律動」だ。身体の中で魂が跳ねる、そんな演奏と歌唱とさらに観客の興奮が一体となったパフォーマンス。
 「悲しいのは 私がいるために 私であるために 悲しいのは私自身だから」という文字通り悲しい命題を歌った岡本おさみの「私」と題する詞にサンバチックなメロディーがつけられて発表=初演されたのは、1974年「愛奴」とのコンサートツアーだ。当時としては画期的なミラーボールが回り、新曲ながらラストナンバーとして観客を盛り上げに盛り上げたという伝説がある。
 そして1976年のアルバム「明日に向って走れ」に松任谷正隆のアレンジで、松任谷正隆がドラムまで叩き「ブンチキブー」と言いながら八面六臂の活躍でレコーディングされた。数年後拓郎は、「これをレコーディングしたのは失敗だった。ライブのあの勢いがやっぱり出ていない。後悔している」と残念そうに語った。KO松任谷。あのな。
 そしてその言のとおり、1979年の篠島の第二ステージでは、「この曲では俺たちも少し遊ばせてくれよ」と観客に断って、バンド全体のラテンなパーカッション大会のノリで盛り上がった。これがこの作品の新たな船出だったと思う。 あらゆる「悲しみ」を何のヒネリもなく受け入れて、ラテンのノリで、まるで元気の素のように熱く撚りあげて行く。
 このライブでの新たな転生が頂点を極めたのはやはり「王様バンド」のツアーである。1982年のライブアルバム「王様達のハイキング」に所収されているこのバージョンこそが完成版である。たぶん、というか、もうこりゃもう神様が作らせたとしか思えないバージョンだ。大地の響きのような魂の演奏。熱い塊となった演奏は圧倒的だ。少々の悲しみや辛さは完全に吹っ飛んでしまうオーラに満ちている(効能には個人差があります)。映像では間奏で拓郎がパーカッションを打ち鳴らすところが見られて、これがまたカッコよくさらにご機嫌である。王様バンドのしめくくりとなった1985年のつま恋でのオープニングナンバーの演奏も記憶に新しい。齋藤ノブのサンバホイッスルが気持ちをさらに昂めてくれる。
 余計なことだが、フォークの神様岡林信康が、この20年間くらい「エンヤトット」という祭り太鼓のような不思議なリズムに捕われているのは、この「魂の律動」を表現したいからではないかと勝手に推測している。「音楽の魂」と結縁している拓郎とそのバンドは、とうにそれを軽やかに飛び越えて見せた。あ、喧嘩売ってるわけではないから。

2015.9/23