uramado-top

加川良の手紙

1972年
作詞 加川良 作曲 吉田拓郎
アルバム「元気です」/アルバム「18時開演」

あの日のキミは若かった

 2009年の最後のコンサートツアー「Have a Niceday」のオープニングにウクレレの弾き語りで歌われたのも記憶に新しい。オリジナルは1972年名盤「元気です」の一曲。
 アルバム「元気です」のこの演奏は逸品だ。個人的に歳をとったせいもあるかもしれないが、イントロを聴くだけで涙が出そうになる。「ホワイトジーン」「深夜劇場と目玉焼きの田中さん」「インスタントコーヒー」などのたまらん歌詞、郷愁のあるメロディー、のびやかな歌、若き日の有名ミュージシャンたちのハートフルな演奏といった、ひとつひとつに音魂がこめられている。聴くことでひとつの世界にトリップする。対象は違うが、強いて言えば映画「三丁目の夕日」に観入った時のような胸キュン状態になる。やっぱり歳か。
 拓郎は「僕は『顔』が良かったから売れた」とよく語っていた。新人拓郎が世間から仕分けされた「フォーク界」の中では、拓郎は自分は無敵のルックスの良さだったと回想する。そこにルックスのライバルとして登場したのが「加川良」と「友部正人」だったとのことだ。  71年の中津川フォークジャンボリーのライブ盤で、ステージで歌う高田渡と加川良に対して客席からの拓郎の大声の野次の応酬が入っている。拓郎「加川ぁ、今おまえ何やってた?加川良、何のためにそこに座っているんだよぉ(笑)」加川「うるさい広島人!」高田「よしだたくろう、コロしてやろうかと思います(笑)」この空気がたまらなくイイ。拓郎は、俺はフォークではないと繰り返し言い続け、確かにフォークには収まらない「音楽家」だと思う。しかし、このフォークとの蜜月によって刺激され生まれた名曲・名演は確実にあると思うのだ。
 加川良のインタビュー(「CDムック吉田拓郎読本2008」)によれば「元気です」のレコーディング中に、拓郎から電話で、「曲余ってないか?」という切羽詰まった依頼があって、当時書いていた「手紙」という詞を、加川良が直々に六本木のスタジオまで届けたそうだ。そこで拓郎が、即興で曲をつけて作品となった。後に拓郎は、「加川良が誰かのために書いた手紙を出す勇気がないのでオレが曲にした」と解説していたようだが、加川良は笑って否定している。ま、たとえ真実でも認めるワケないから真相はやぶの中だ。
 「これは曲というよりトーキングだ」と加川良は言ったが、そうだろうか。字余りで饒舌に歌われるが、実に言葉を見事に運ぶメロディーの達人ぶりを感じる。この言葉が生き生きと動き出すようなメロディーこそが真骨頂で、心を揺さぶるのだと思う。
 加川良がインタビューの最後に言う。この作品のおかけであまねく世の中に自分の名前が知れ渡ったと。「作詞・加川良」のクレジットだけでなく、あえてタイトルにも「加川良の手紙」という冠したところに、拓郎特有の「気遣い」を感じると結んでいた。1979年のコンサート「十年目のギター」では、拓郎は、加川良の「教訓Ⅰ」をカバーしてみせたことも思い出す。あんましウマくなかったけれど。

2016.1/9