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帰らざる日々

1980年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「Shangri-la」

敵と味方の帰らざる日々

 「帰らざる日々」。このタイトルを聞いて、例のハンド・イン・ハンド砦の三悪人、ちゃう三人組のフォーク・グループを思い出した方は・・・とても正しい。「帰らざる日々」といえば拓郎ファンといえども浮かぶのは「アリス」だろう。このアルバム「シャングリラ」が発売された1980年には、既に「アリス」は絶頂期だったし敵曲はスタンダードになっていた。どう考えても聴き手ではなく作った拓郎側の問題だ。坂崎幸之助だって85年つま恋でのアリスの「帰らざる日々」の「ずいずいずっころばしごまみそずい」の替え歌でカマしていた。よりによって当時の敵陣営の同名曲である。とにかくタイトルが悲しい。
 第二の悲しみは、本編だ。詞が少しショボくないかい。「イメージの詩」では、「古い船には新しい水夫が乗り込んでいくだろう。古い船を今~~」という歴史に残る哲人のような名詩を刻んだ男にしては、「人生という船が進むよ 雨が降っても風が止んでも帆をはって」とはあまりにヒネリがなさすぎと思う。
 もうひとつ、歌詞に「太陽に向かって走っていれば良い」とあるが、ほぼ同時期に作られ発表された弾き語りの名曲「証明」では「太陽に背を向けて走れっ!」と歌っている。どっちなんだよ。
 この作品をよりによって、拓郎初の海外録音盤、しかも80年代幕開けの第一弾アルバムという国民の眼と耳が集まる場面に収める必要があったのか。また、追い打ちをかけるように、この海外のミュージシャンの演奏がまた悲しい。当時、松任谷正隆が「アンタは海外でデモテープ作ってきたのか」と驚嘆した演奏。実際にロスに行く前に、ラジオでこの作品のデモテープを流したが、そっちの方が良かった。間違いなく日本で王様バンドあたりで作った方が格段に良くなったろうとシロウトながらに思う。
 なんというかそういう中で一番の悲しみは、これだけショボイと文句をいいながら、今でも酔うと一人でトボトボ帰る道すがら「はるかに過ぎた日に 思いをめぐらせて 若さを懐かしむ ホロ苦い酒 明日のために断ち切るんだ!過去をぉぉぉぉ」と熱唱していたりする自分だ。ここの部分など歌うと妙にカタルシスがあるから始末が悪い。ということは名曲ではないのか。それこそどっちなんだよ。
 そうそうアリス全盛期に日活でアリスの曲を主題にした「帰らざる日々」という藤田敏八監督、永島敏行主演の映画があった。劇中で1972年の回想シーンがあって思いっきり「旅の宿」が流れるのだ。片や主題曲、片や懐メロ回想曲ううむ、やはり悲しかった。宿敵アリスとの確執と死闘については「この指とまれ」の項と思ってたら、2014年に和解した谷村と御大。あの敵対の日々は、もう帰らざる日々なのか。
 ちなみに御大は、森下愛子とベッタリ共演していた永島敏行が気に入らないと怒っていたが、それももう帰らざる昔の話か。

2015.12/5