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準ちゃん

1979年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「TAKURO TOUR 1979」

はじめのはじまり

 1979年という公式盤発表年を記載しているものの、言わずと知れた吉田拓郎が高校生にして作詞・作曲した処女作。広島県立皆実高校の一級下の嶋田準子さんに捧げるために作られた。「女の子にモテたいから音楽をする」というのは今も吉田拓郎を貫くハガネのようなポリシーだ。
 トホホな歌手がよく口にするような、歌で世界を変えるとか、一攫千金を手にするとか、天下をとるとか、そういう邪なポリシーは拓郎にはない。「恋するキモチ」というシンプルなモティベーションとともに常に音楽とあるのが吉田拓郎だ。
 「天才に向上心はいらない」という格言と同様、「天才に野心も計略もいらない」ことを教えてくれる。 舟木一夫の「高校三年生」に影響を受けたものだと拓郎本人が語るが、ポップな才能は既に開花している。しかし放課後の部室で準ちゃん本人に聴かせたところ「おかしな歌ですね」という冷たい反応にショックを受けたとのことだ。無念なり。
 公式音源は79年の武道館で即興的に歌われたものだが、デビュー間もない頃のラジオ番組「気ままな世界」か「パックインミュージック」の時に、バンド演奏のスタジオ録音盤が作られている。拓郎のテレ臭さからか、間奏にセリフが入っていて、やや、おちゃらけてしまっているのが残念だ。
 但し、処女作というのは方便で実際は「雨の中のあの娘」という歌が本当の処女作だったと拓郎は後年明らかにしているが(79年5月のセイヤング公開放送にて)、これも準ちゃんのことを歌った歌ということだ。2009年の公式のつぶやきで「彼女を送った帰り道、雨が降ってきた出汐町」というのがあったが、まさにこのことのようだ。「ウィンブルドンの夢」に出てくる「あの日も同じような雨でした」というのも、この初恋のときめいた雨の帰り道がモチーフになっていると推測される。初恋のみずみずしさが今も心にあるからこそ拓郎は稀有な音楽家なのだと思う。
 そういえば、かつてインターネットで歌詞について「人形のように」か「人魚のように」かという論争があったが、「かわわいい脚のすんなり伸びた」と続く歌詞からすると人魚に足はないので人形か・・と今さら思う。
 ともかく、ここから吉田拓郎の偉大な旅路が始まる大切な記念碑だ。

2016.2/20