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自殺の詩

1971年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「人間なんて」

永遠の恩人よ、なぜ音楽から去る

 今日の吉田拓郎があるのは、私なんぞが今さら言うまでもなく「その類まれな才能」ゆえである。しかし拓郎は、沢田研二のように大手プロダクションから華麗にデビューしたわけではなく、広島から上京し通販主体の零細なレコード会社に薄給で雇われ、印税を掠め取られながら無名のフォーク歌手としてスタートした。いかに才能があったとはいえ、かなり危ういドン底の出発だ。そんな拓郎に音楽的な面で手を差し伸べ、突破口を開いてくれたのは間違いなく加藤和彦その人だ。
 71年のアルバム「人間なんて」のレコーディングで、加藤は、まだ学生だった松任谷正隆を始め、小原礼、林立夫らの優れたミュージシャンを引き連れて、アレンジとギターでの辣腕をふるい、フォークソングを越えた「音楽世界」への架け橋を拓郎に用意した。
 2009年の加藤和彦の追悼ラジオ番組で、拓郎はこのレコーディングの時の様子を感慨深く振り返った。ギターでつくられたフォーキーな歌が、加藤和彦のアレンジとミュージシャンたちの手で生まれ変わる瞬間の感動を、まるで昨日のことのように詳しく語っていた。その結実の最たるものが「結婚しようよ」「自殺の詩」だったという。
 加藤は、いちはやく拓郎の才能を見抜き、同歳の同業者なのだから自分を脅かすライバルになりかねないにもかかわらず、自分の音楽的才能と人材コミューンを惜しみなく拓郎に注いだ。なかなかできないことだ。加藤和彦が、いかに我欲のない、純粋な音楽家だったかがわかる。
 この『自殺の詩』は、デビュー前のソノシート集「真夏の青春」に収録されている弾き語りバージョンとは異なり、まるで教会音楽のような荘厳なオルガンに、加藤和彦の繊細なギターがアシストする逸品に仕上がっている。拓郎のハーモニーも含めてその完成度の高さと美しさといったらない。実に敬虔な雰囲気が漂う。
 拓郎は「加藤は、ギターがものすごくうまい。長く繊細な指で軽く握ってギターを柔らかく弾くんだよ。」と、この作品を含めた加藤のプレイを絶賛する。
 それにしてもこのタイトルが『自殺の詩』とは、なんと深い業だろうか。作品の完成度が高いだけに、タイトルで損をしているような気もする。それより何より、2009年の加藤和彦の最後を考えると、ひとつの楽曲としてしみじみ聴き直すのも少し厳しい。
 その後、拓郎と加藤は、音楽的関係を重ねつつも、安井かずみに姉的な思慕を寄せる拓郎は、加藤に対して「つまらないオヤジだ」と立腹したりするうちに疎遠になり、晩年は住所すらわからなかったという。言葉にできないいろいろな思いがあったことは想像に難くない。
 しかし拓郎は加藤の逝去に対しては「加藤和彦よ永遠なれ」と深い弔意を表し、拓郎本人はあまり世間には出たくなかったであろう時にもかかわらず、お別れ会にも足を運んだ。そして後日のインタビューでは、「彼の死に対しては、ちょっとはオレを頼りにしろよと言いたかった」と少しの恨み言が入っていた。やはり拓郎は誰より大切な音楽家、かけがえのない大切な恩人であり友人を失ってしまったのだとあらためて思う。

2015.10/10