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いつも見ていたヒロシマ

1980年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「アジアの片隅で」/アルバム「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」/DVD「85 ONE LAST NIGHT in つま恋」/DVD「TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005 」

遠くから、この世界の片隅で

 「一度きちんと故郷にケジメをつけなさい」・・・岡本おさみはそう言って拓郎に対してこの詞を提供したそうだ。岡本おさみは広島を故郷とする拓郎になりきって書いている。もはや混然一体となってしまっている二人の「強み」がこういうところにあらわれる。
 1980年発売の「アジアの片隅で」におさめられたこの曲は、このアルバムにとってだけでなくファンにとっても大切な一曲である。1980年の秋ツアーでの初めてのライブでのお披露目の時に、この曲を紹介するMCの時に「カッコつけんな!」という野次に拓郎が激怒して本当に怖かった思い出がある。それだけ拓郎にとっても大切な思いのこめられた作品だったのだ。
 普通「ヒロシマ」をテーマにすると「原爆の悲劇」「反核」「平和」を訴える直球のメッセージソングになりがちだが、この作品の魅力は、そういうところから少し離れた一個人の自分というスタンスで発信しているところにあると思う。「焼け尽きた都市から確かな愛が聞こえる」という絶品のフレーズ。それは声高にアジテイトするのではなく、声にならない声にも静かに耳を澄まそうという繊細さが漲っている。一人の個人として、ヒロシマとこの世の中と子供たちの行く末に思いを運ぶ。だからメッセージソングにありがちな押し付けがましさがない。聴き手が自分の心をそれぞれにこの歌に投影することができる。しかし「遠くから見ている」というスタンスを選びながら、そこにはどの歌にもない力強さがありもする。それが、この作品のパワーだ。
 また、この詞に出てくる「歌う敵と歌う真実」のところも妙味だ。「歌う敵」とは、当時流行していた「優しさ」を売り物にするニューミュージックの歌手たちのこと。もっというとアリスとか松山千春らのことだと思う。「歌う敵」とは拓郎の当時のスタンスを痛快なまでに代弁している。まさに岡本おさみは吉田拓郎になりきって、吉田拓郎には表現できない吉田拓郎の魅力を描き出している。
 もちろん詞だけではない。アコースティックのギターのピッキングで入るイントロの繊細な美しさ。聴き入るものの心を確認するように何度も繰り返される。これまたメッセージソングとは無縁の抒情的なメロディーが素晴らしい。特にサビ近くの「子供らにぃぃぃ俺たちが与えるものはあるか」のところの拓郎の絶唱がたまらない。DVDにもなった2005年ビッグバンドのツアーでの演奏は特別に素晴らしいが、この「子供らにぃぃ」ところをコーラスが唱和してしまうのが残念でならない。いろいろ事情はあるのだろうが、コーラスの力を借りず、拓郎が一人身をよじって身体から絞り出すようなソロの絶唱で聴きたい。
 この曲が2009年最後のコンサート・ツアーの広島公演でのサプライズとして用意されていたことがツアー中止後にわかった。無念なり。音楽作品としても逸品のこの作品は、拓郎ファン以外の人々にももっと知られて欲しいし、歌い継がれてほしい。ヒロシマに関してはピースコンサートとかいろいろなイベントがある。ま、拓郎は間違っても出演しないだろうが、そういう場所に出て行って出演者たちが歌う薄っぺらな歌たちにガツンと喝を入れるように、拓郎が絶唱してはくれないかと果てない夢をみる。

2015.10/3