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いつか夜の雨が

1980年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
シングル「いつか夜の雨が」/アルバム「Shangri-la」/アルバム「18時開演」

Night rain 魂の雨は降りやまない

 1999年のツアーのMCで拓郎のフォーライフの脱退発表を聞いた時は驚いた。「フォーライフ」=「拓郎」は一心同体と思っていたからで、例えば長嶋茂雄が阪神に移籍するとか、イエス・キリストが宗旨変えして比叡山で座禅を組むくらいあり得ないことだった。そしてフォーライフへの手向けの歌として一番の思い出の曲であると語って、この作品を歌った。
 この作品は1980年にロスで海外録音され、アルバム「Shangri-la」に収録された(アルバム発売から3か月も経ってから突如シングルカットされ殆ど売れなかったという悲しいエピソードもあった)。ロスで録音する前に、ラジオで拓郎の自作のデモ・テープを聞かせてくれた。地味な小品という印象だったが「ブッカーがアレンジすれば必ず良い曲に仕上がる」と自信を見せていた。そして完成品は「レゲエ」の曲として、デモテープの面影がないほど完膚なきまで転生していて面食らった。なるほどブッカー・Tの本場のスピリチュアルがあればこそなしえたアレンジであり作品だろう。その意味ではロスでの録音の一番の「成果物」といえる。
 80年代の拓郎への「レゲエ」への傾倒は見逃せない。確かにこの頃世間でもレゲエが大ブームだったが、例えばレゲエのリズムをパクるような薄っぺらなミュージシャンたちを拓郎はかなり露骨に軽蔑していた。拓郎は、自分の「レゲエ」は、「ボブ・マーリイ」への敬愛だと語っていたことがあった。拓郎の「レゲエ」は、うわべだけではなく「レゲエ」の魂との深い感応だったのではないか。うまく言えないが「レゲエ」が食材だとすると、これみよがしに皿にレゲエを盛り付けるのが世間の流行だったが、拓郎はそれをせず、レゲエをダシにして思いっきり煮込んで濃厚なスープをとるタイプだったと思う。何事もカタチではなく物事の深奥を掴むのが拓郎の真骨頂だ。
 2009年の最後のツアーの直前の公式ブログで拓郎はこうつぶやいた。
 「「いつか夜の雨が」に過ぎ去る者達よ そんなに急ぐな とある。なんてやさしい愛にあふれた作品だったろう。君も僕もそれから どう生きて行ったのだろう?」
 拓郎はこの作品に対してかなり深く大切な思いを抱いていることが窺える。この作品の誕生にあたってはブッカー・Tが不可欠だったかもしれないが、その後のライブでは、演奏するたびに自立し深化していくようだ。詞も曲もそして演奏も「レゲエの魂」を裏切らない「音楽の魂」がきちんとこめられているからだと思う。「拓郎の思い」と「音楽の魂」という最上の「ダシ」に思いを馳せて何度でも味わってみよう。

2015.10/3