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いつでも

1996年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「感度良好波高し」/DVD「吉田拓郎 101st Live」

求めあう二人の二度目の旅路

 1996年のアルバム「感度良好波高し」に収められたこの作品は、岡本おさみとの実に15年ぶりの共作だ。「さらば吉田拓郎」と岡本おさみから訣別を突きつけられてから(詳細は「いくつもの朝がまた」参照)15年を経ての本格的コンビ復活。どのような経緯で復活したのかはわからない。作詞家と作曲家なのだから、さして理由はいらないのかもしれない。このアルバムでは、阿木耀子の詞一作を除くと(「今日までそして明日から」のセルフカバーもあったか)、岡本おさみと石原信一が4作ずつ「競作」している。別に競っちゃいないか。岡本おさみにどの程度の作詞のブランクがあったのかよくわからないが、石原信一の一連の洗練された詞に対してこのアルバムの岡本おさみの詞はどうしても見劣りしてしまう。言葉に鋭さが欠けるというか、言葉が痩せているというか。
 「もうすぐ帰るよ」の風景を思わせるような、夜明けの道を一人歩く男。しかし「もうすぐ帰るよ」とは違って、愛しい人はもう待っていない。いつでもそばに居てくれた「おまえ」を思う。やがて夜明けて仰ぐ青空が胸に沁みて泣けてくる。いい詞だ。って、どっちなんだよ。
 このシンプルな詞が心に刺さるのは、間違いなく拓郎のメロディーのおかげだ。誰もが持っている情けない男の心情。過去を思い返して胸かきむしられるそんな切ない時間。でも拓郎のメロディーは、力強く陽性で実に行進曲のようにズンズンと突き進んでいく。情けなさ、寂しさに決して足を取られまいとするように。
 そしてしつこいくらいにたたみかけるサビの部分が圧巻だ。「胸に沁みる熱い思いに 胸にしみる空の蒼さが・・・・・」ここのこれでもかというリフレインがたまらない。聴いているうちに、胸が本当にこみあげてきて、本当に目の前に夜明けの青い空が目に浮かんでくる。だんだんと切なさに胸がつかえてくる。うまい。なんと情感豊かに「言葉」を活かすのだろうか。
 長い訣別期間を考えるまでもなく、もともと岡本おさみと吉田拓郎、おそらくは人間的な相性は合わないのかもしれない。しかし作詞家と作曲家としての絶妙なマッチングが凄いなんてものではない。二つに欠けた陶器が、それぞれを探しあうように求め、それがビタリと一致するような見事さ。2009年の拓郎の公式ブログで拓郎はこうつぶやいた。「僕の作る詞のあり方が一時オカモッちゃん風になっていた事実がある 今読んでみると恥ずかしいが強い影響を受けていた事がわかる」。拓郎だけではない。たぶん岡本おさみもそうだ。「子供に」では、「新しい水夫であれ」と詞を書き、岡本の故郷ではない「ヒロシマ」の想いをわが故郷のように綴る。二人は混然一体になってしまっているところがある。だからこそ生まれた名曲が数々あることは言うまでもない。芸術から観れば、人間の相性とか好き嫌いなどは大した問題ではないのかもしれない。
 原曲はいわゆるラス・カンケルら例の外人バンドとの共演で演奏された逸品だが、2002年のスタジオの「ビッグバンド」での勇壮な演奏が胸に迫り、こちらの方がベストなのではないかと思う。

2015.10/3