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いくつもの夜が

1988年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「すなおになれば」/アルバム「MUCH BETTER」

コンピュータの偉大なる実験

 1985年つま恋以後、約3年間の沈黙を経て、いよいよ本格始動した1988年3月のシングル「すなおになれば」のB面、そして翌4月発売のアルバム「MUCH BETTER」にも収録された。
 誰もが指摘するとおり、この時期の特色は「コンピューターの打ち込み」だ。85年のアルバム「俺が愛した馬鹿」の頃からコンピューターの打ち込みへの傾斜が見られたが、このアルバムそして特にこの曲ではそれが本格化する。自宅にこもっていた3年間ですっかりコンピューターマニアになった拓郎のお披露目会の様を呈している。このころの多くのインタビューで「拓郎さんというとコンピュータなんか嫌いだろうと思ってましたが」という質問に拓郎はニンマリ笑って「俺は新しいものに敏感だからコンピュータにも積極的に取り組んでるんだよ」と得意気にドヤ顔をかましていた。しかし後に本人からは「満足な出来ではなかった」「打ち込みに中途半端な気持ちで取り組んでいた」と反省の弁あり、これ以後の2作のアルバムにわたって、拓郎のコンピュータ実験は容赦なく続くのであった。今にして思えば、吉田拓郎は、この実験期間を経て、コンピュータを自在に使えるようになり、変な偏見なく、客観的な音楽ツールのひとつとして音楽に生かせるようになったのかもしれない。そしてだからこそ、「生音」の大切さをあらためて認識し「ビッグバンド」に至ったのだとも思える。
 しかしこの辺の実験サウンドをそのまま残されてもなぁ。当時のこの曲のレビューでも、「コンピューター音やシンセが実に小気味良い」なんて書いてあったが、ホントかよ?。このやたらピュン・ピュン・ピュンと鳴りまくっている機械音は、まるで電車で隣にゲーム狂の子供が座ったみたいで気になるったらありゃしない。その挙句に「WohWoh愛よもっと強くなれ」と壮大な結論を提示されても戸惑う。
 しかし、よくよく聴いてみると例えば、この詞は「時は止まってくれないので満足は過去のものになる。幸せだったと思うのを誰も責めたりはしない。」というように性急な時の流れの中で、愛を求めて彷徨う深い心情を描いている。得意の字余りの言葉のたたみかけも魅力的だ。3年間の沈黙の中で変わっていった拓郎の心象風景を描き出している貴重な歌ではないかと思う。それだけに是非人間のバンドの生の音で練り直して、再入魂してほしいと思う。
 この曲の発表から3か月経った頃に発表されたサザンオールスターズの「みんなのうた」の歌詞には「愛を止めないで」「いくつもの夜が通り過ぎていく」というフレーズがある。当時、桑田圭祐は、小田和正や吉田拓郎らの先輩世代への敬愛をよく口にしていたので、これはオマージュではないかと思うのだが証拠はない。

2015.10/3