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いくつもの朝がまた

1980年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「アジアの片隅で」

大いなるすれ違いの前に

 岡本おさみはかつて1983年にシンプジャーナルの連載「歌のことばが聴こえてくる」でこう記していた。「吉田拓郎と何かが出来そうだと思ったことが一度だけある。それは『アジアの片隅で』を作った時だ。」
 1980年のアルバム「アジアの片隅で」の一群の岡本おさみの詞は、世の中、社会に対して向き合うプロテストソングだ。「アジアの片隅で」はもとより「いつも見ていたヒロシマ」やこの「いくつもの朝がまた」にはその気骨が窺える。岡本おさみは、こういうプロテストな作品を拓郎と作って、世の中全体に働きかけて、世の中を変えていきたいという望みがあったようだ。
 岡本おさみは「アジアの片隅で」の次回作のためにたくさんのプロテストな詞を作ったが、拓郎は次回作「無人島で・・・」では、松本隆とコンビを組んだ。吉田拓郎は、社会運動よりも、一個人としての自由な生き方、自由な恋愛を選んだということか。1977年のドキュメント本「大いなる人」の中で、政治問題を語る岡本おさみに対して拓郎が「そんなことやめなよ。あなたは作詞家なんだから、詞を書きなよ。」と酔ってカラむシーンがあった。拓郎の方にも政治アレルギーがあったような気がする。いずれにしても失望した岡本おさみは、先の連載記事の中で「吉田拓郎との歌作りが終わった」と宣言した。そして、コンビは長い空白期に入る。そのコンビ空白直前最後のひとつがこの作品だ。
 プロテストな香りのする詞だが、曲は拓郎のポップな才気が溢れていて、ノリがよく明るいロックンロールだ。だから「救急車」「飢え」「悲しみ」「怒り」といったフレーズがさして重くのしかからない。見事なのは「高速道路の孤独や落ち行くエレベータの中」、「回転いすのオフィスや腰振る電車の中で」のところのメロディーと歌のハジケかたが実に気持ちいい。ピアノもホップしていて思わず踊り出したくなるような絶妙さだ。
 この作品は「ローリング30」が録音された箱根のロックウェルスタジオでレコーディングされたが、レコーディングの模様が当時の拓郎がホストをつとめていたラジオ番組「ヤングタウン東京」で生中継された。この曲と「いつも見ていたヒロシマ」が、初めてライブ形式で公開されたのも懐かしい。明るいノリの拓郎らしいレコーディングだった。このスタジオに同行していたのは、「岡本おさみ」ではなく「松本隆」だったというのも何やらその後を暗示してるかのようだ。松本隆はこのスタジオで「この歌をある人に」を書いていた。こうしてこの作品を聴くと岡本おさみのプロテストな詞と陽気でポップなメロディーという組み合わせも悪くないと思うが、残念ながら聴き納めとなってしまった。

2015.10/3