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生きていなけりゃ

1995年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「Long time no see」/DVD「「Forever Young 吉田拓郎・かぐや姫 Concert in つま恋 2006」」

蘇生する男、歩き続ける男のブルース

 95年にバハマでレコーディングされたアルバム「Longtime No see」の一曲だが、バハマという楽園のイメージとは反対のドメスティックで沈痛な感じが漂う。「生きていなけりゃ そう生きていかなけりゃ」の歌声がずっしりと重い。特に「心乱れても 涙溢れても」の「なぁぁぁみだ」の歌い方。少し鼻にかかったというか鼻に抜けるような切なげな歌い方は拓郎には珍しい。
 この歌の当時である90年代前半のいわゆる「吉田拓郎冬の時代」が影響しているのではないか。後に、2010年の田家秀樹著「大いなる日々」の中のインタビューで、拓郎は当時のことをこう語る。
「90年代の初め頃かな。~チケットが思ったほど売れてなくて。一階席の後ろの方が何列か空席なのがステージから見えるわけ。僕の中でも燃えるものもなくなっていたし、バンドも納得しきれてなかったし妻に”もう止めちゃおうか”と言ったことはある」
 拓郎はサラリと語るが、極めて深刻な事態だったに違いない。「吉田拓郎」に関するすべてがフェイド・アウトしていくような空気を当時のファンもみな感じていたはずだ。
 50歳を目前にした、ある種の中年危機(クライシス)。この歌の沈痛さにはその影が落とされている気がしてならない。拓郎はこのクライシスを、ひとつは、二年間に渡るラス・カンケル、クレイグ・ダーギーら外人バンドとのレコーディングそしてツアーというセッション、もうひとつは、ご存知「LOVE2あいしてる」の出演のふたつによって乗り越えた。いつも消極的だった海外ミュージシャンとのレコーディング、大嫌いだったテレビ出演という二つのタブーに勇気をもって飛び込んで、まさにホップ・ステップ・ジャンプという感じで乗り越えたといえる。この大いなるチャレンジを忘れてはならない。ファンとしては誇りに思う。
 乗り越えた先にあったのが念願のビックバンドによるツアーであり、その結晶のような2006年のつま恋であり、そして「今」だ。途中「癌」という思わぬ陥穽もあったものの、拓郎は60歳をも見事に超えたのだった。そして今70歳も越えんとしている。
 ご存知のとおり、つま恋2006の第1ステージで「生きていなけりゃ」が初めてライブで歌われた。オリジナルとは少し違い、実にチカラ強い歌声になっていた。危機を乗り越えた自信がみなぎっているようだ。個人的には、この後2006年の秋に「ミルホドコウベヲタレルイナホカナ」ツアーで歌われた時はさらに凄味を増していたと思う。先の「心乱れても 涙溢れても」の部分は力強さのみならず声が抜けるように伸びていて武道館の天井を突き刺すように圧巻だった。まさに歌の再生を目の当たりにした思いだった。

2015.9/21