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錨をあげる

2007年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
DVD「歩道橋の上で」

voyageモノの隠れた最高峰

 ああ文句なしにカッコイイ。「こんな歌を待ってたんだよ」と快哉を叫んだファンは私だけではあるまい。イントロの荘厳なキーボードが夜明け前の張りつめた港の空気を見事に表現している。あとは拓郎とミュージシャンの「技」のなすがまま、まさにLife is a voyageに連れ出される。
 ファンもそれぞれに日々大変なことに向き合っている。それぞれの厳しい環境の「極北」を行く時に「背中を押してくれる」歌が欲しい。だからといって汗だかバケツだかの水でずぶ濡れになって「元気だそうぜぇ」と絶叫する薄っぺらな歌にはすがりたくない。誰もが「抱えきれない 憂鬱 嘆き 後悔 喜び」に導かれながら、それでも明けゆく海に錨をあげようという嘘のない叫びだけが私達の背中を押す。喜びも悲しみもすべてが私たちの船を導くという歌声に救われる。
 途中で嬉しそうに頭上で拍手する拓郎。プロフェッショナルな大人たちが演奏を作り上げる映像もたまらない。タイトルは「錨をあげて」「錨をあげよう」を経て「錨をあげる」に落ち着いたようだ。こんな些細なことにも拓郎の気持ちが見え隠れするようだ。
 しかしこの曲は「歩道橋の上で」のドキュメント映像として収録されただけであり、CD音源も正式クレジットも歌詞カードすらもない。拓郎の意に沿わない事情でこうなったとしたらそれは何より不幸なことだが真相はわからない。公式CDに、そしてライブに、どこに出しても恥ずかしくない名曲だ。
 そして本来つま恋2006年が明けた新たなスタートは、Life is a voyage Country Tourだった。幻となったTVCMの告知では「さぁ錨をあげよう」という拓郎の一声だった。拓郎が2007年に望んだことは決して大それたことではなく、信頼できるミュージシャンとバンドを組み、小さな町の小さな会館をひとつひとつ歌って回ることだった。そもそもこの歌が正面切って発表できなくなった時に既にある種の不幸は始まっていたのか。これもわからない。
 しかし、荒天遭遇や海難は船にも航海にもつきものだ。病理現象ではなく当然に起きるべき生理現象だ。現在も拓郎が元気でいることが何よりであって、悲嘆することはない。「明けゆく海に感謝を捧げ」何度でも錨をあげようではないか。というわけでどんな事情があろうと珠玉の名曲。

2015.10/3