漂流記
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「感度良好波高し」/DVD「1996年、秋」
もっとシンプルに、もっとしたたかに
何度でも言いたいがアルバム「感度良好波高し」のメロディーはどれも素晴らしい。このアルバムの拓郎のメロディーには、ハズレがない。どれも心地よく、聴いていて小気味良いメロディー展開がある。良い意味で「拓郎節」が薄めだ。・・良い意味ってなんだ。演奏は、盤石だが、円らかであたたかみがある。ふかふかのソファーに身をゆだねたかのような安心感に満ちている。
ラス・カンケル、クレイグダーギーらの70年代のウエストコーストの著名ミュージシャン。申し訳ないが、彼らの往年の活躍はよくは知らないけれど、そんな私でも、このアルバムの安定感ある温かな音を聴くと、拓郎がこのバンドにこだわった理由がよくわかる。彼らロスのミュージシャンたちは、前作「Long time no see」のレコーディングの際に、このバンドは、ミュージシャンたちにとっても「リユニオン」=「再会」=「絆」であると語っていた。
その意味では、この作品は、作詞家岡本おさみと拓郎との「リユニオン」でもある。このアルバムで、岡本おさみとは、1980年以来、16年ぶりの仕事となる(85年のLast Kiss Nightは、カウントしていない)。80年といえば岡本おさみも同行したロスでの「Shangri-la」の制作の年だ。そしてまたコンビ再会の舞台が、ロスでレコーディングされたこのアルバム「感度良好波高し」になるというのは、偶然とはいえ感慨深い。
但し、80年の言葉と比べると、この作品の岡本おさみの詞は、とても凡庸だ・・と思う。旅に身をやつしていたころの凄みはなく、実にシンプルで平易な言葉たちだ。また拓郎のメロディーは素晴らしいが、昔のような切った、張ったの尖がった緊張感はない。ここにある種の老いや不満を感じる声もあるようで、それがまたこのアルバムが今一つ評価が上がらない理由かもしれない。
しかし例えば、50歳を超えた男の口から呟かれる「どこへ行こう どこへ」というフレーズ。このシンプルすぎる言葉にあてがわれたメロディーと歌い方は実にすばらしい。そこには若者のようなギラギラした放浪感もないかわりに、歳をとって途方にくれるような悲壮感もない。
むしろ行間に満ちているなんとも言えない清々しさ。心が軽くなり、自分もどこかへ行けそうな気がしてくる。岡本おさみや拓郎くらいにベテラン化すれば、本来なら、難解な言葉にこだわりのメロディーが絡み合う複雑な作品になるのが普通かもしれない。しかし二人の作品は、どこまでも平易でシンプルに徹しており、それでいて聴く者の心を明るく照らすかのようだ。これこそが達人の仕事なのだろう。
二つのロス・レコーディングの間に、横たわる時の流れ。それはある意味で「老い」という現実なのかもしれないが、この作品には、シンプルでありながらポジティブなチカラが漲っている。「老化とは決して退廃ではなく、老化という名の成長過程である」というどこかの医師の言葉が思い出だされるような一品。
2015.10/13