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放浪の唄

1991年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「detente」 」

変化という重い枷を背負いて

 アルバム「detente」は名盤だと思う。しかし、この「放浪の唄」をアルバムのオープニングである一曲目に入れるのはどうか。もっと言うとこの曲を堂々とオープニングに鎮座させながら、「裏窓」を「ボーナストラック」というオマケ扱いしているのもどうかと思う。決して「放浪の唄」が悪い曲だと言いたいのではなく、いや少しはあるが(苦笑)、ともかく位置付の問題だ。
 アルバムの一曲目は、そのアルバムと聴き手との「ファーストコンタクト」いわばアルバムの顏である。それがこの作品でいいのか・・と誠に勝手僭越ながら思う。実際に、このアルバムを初めて聴いた時、一曲目でかなり気分が落ちて不安になった記憶がある。しかし、それに続く2曲目の「たえなる時に」が、鮮烈な出来上がりで、ここで一気にアドレナリンがアゲアゲになって救われた。逆に名盤の確信を得たものだ。
 なぜ一曲目にふさわしくないと感じたのか。この作品は、哀愁溢れる切ないメロディーで、寂寥感がいっぱいに表現されているが、全体的にどこか昭和の古民家のような古色蒼然とした侘しさが漂う。私個人の偏った感想に過ぎないが、「放浪」と題しながら、実は、鬱陶しい彼女と「ネクタイ」がきっかけでモメてるだけの話みたいだし、「暮らしを持たない渡り鳥」「涙をふいてあげた夜、君は笑ってうなづいた」「これから海を見にいこか」などベタなフレーズが並ぶ歌詞と演歌スレスレのメロディーと歌い回しが、なんか危うい。
  ここまでくると負のスパイラルは止まらなくなり「♪僕は少し変わったでしょう」のメロディーと昔の東京電力のCM「♪僕は三丁目の電柱です」が同じに聞こえてきてしまう。おい。
 繰り返されるサビの「僕は少し変わったでしょう」・・このフレーズが歌いたかったという趣旨のことを御大は当時のインタビューで語っていた。 「変化すること」は当時の御大にとってキーワードだっだ。「かつての吉田拓郎」というブランドイメージから脱出して新境地を目指すことは、85年前後からの拓郎の悲願だったのだと思う。「神様」「カリスマ」のイメージを払拭し、「音楽家」であることに徹するために、どう「変化」して行けば良いのか逡巡していたのが、この頃だ。後になって拓郎本人も「彷徨っている時代」と総括している。
 しかし、このアルバムには、いくつかの変化のうねりがある。長髪を切り短髪になってから初めてのアルバムだ。また、それまでの「マッチベター」「ひまわり」「176.5」と続いたコンピューター打込み実験から、シンプルなバンドサウンドに思いきり転換していた。しかも、あれだけツアーが億劫だ、嫌いだと言っていたのに、なんとこのアルバムをひっさげての全国45本のツアー挙行する。
  そして何より作品だ。「detente」=「緊張緩和」とあるように、このアルバムには拓郎特有のカリスマチックな「怒り」「叫び」もない代わりに、ゆとりに満ちた清々しい音楽性がある。しかし当時としては、昔の吉田拓郎のイメージに照らして「迫力ない」「元気ない」「つまんない」という評価もあったものと思われる。
 だからこそ「変わったでしょう」なのだ。そう考えはじめると「彼女」は「彼女」ではなくて、旧来のファンかと音楽界とか古い拓郎のパブリックイメージとかそんなものの象徴なのかもしれない。「ご期待されても、もうそういうものは変わったんです」ということを、アルバムの一番最初に断っておきたかったのかもしれない。んー、もう律儀な御大なんだから。
 しかし、このアルバムの2曲目「たえなる時に」以降の作品を聴けば、自ずと、その素敵な変化の兆しが十分にわかる。行間に満ちている。なので屋上屋のような気がする。私には何の権限もないが、そう考えるとこのアルバムは、「たえなる時に」で始まって「裏窓」で終わるアルバムで良かったのではないか。この「放浪の唄」こそ初回限定とかのボーナストラックで良かったのではないか。

2016.1/9