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星の鈴

1990年
作詞 森雪之丞 作曲 吉田拓郎
アルバム「176.5」

愛の土着と土着の愛

 アルバム「176.5」の発表当時、この「星の鈴」を聴いて、「おーっ、こりゃオシャレだな」と唸ったものだ。これまでの路線にはなかった都会的ハイソ感が漲っている気がした。吉田拓郎のことを「土着的なところに開き直っている」と評したのはユーミンだ。しかし、この作品は、珍しく「土着じゃない」香りがする。森雪之丞が紡ぐ「摩天楼」「シャンパンの盃」「10階のテラス」というドラマティックな言葉が、拓郎をトレンディでバブリーな世界に連れ出したかのようだ。熟練してきたコンピュータを駆使して洗練された耽美なイメージのサウンドを創り上げ、自然に歌いこなしている拓郎。「土着」でない洗練された世界においても魅力的でいられること証明してくれている。もしかするしその辺で私の感覚は既にズレてるのかもしれないが。
 それにしても、「土着」なんて言葉は、ユーミン以外の誰かが言いやがったら、ただじゃおかないところだ。ユーミンは、デビュー時には「女拓郎」と評されて不本意だった過去がある。拓郎のことを基本的に愛しながらも、お互いの音楽の対極的違いゆえに、ユーミンブランド確立のため、「土着的なもの」との境界線をはっきりしておかねばならなかったに違いない。バブルの世の中は、「非土着」なユーミンの世界に憧れて、まさにユーミンは時代と四つに組んで栄誉栄華を極めた。これはそのまま土着な御大の不遇の時代とも重なる。
 しかし、バブル崩壊後の荒んだこの国では、もうひとりの対極の女王が世の中を席巻する。しかも、その女王は、御大の腕をしっかり掴んでいた。音楽史に残るつま恋での「永遠の嘘をついてくれ」のデュエット、翌年のコンサートツアーで、女王は、ユーミンから見れば土着の典型のような「唇をかみしめて」を見事に歌い上げた。これは、「土着でも、いえ土着だからこそ私はこの人のすべてが好き はあと」というユーミンに対する挑戦的なメッセージだったに違いない。
 天才ユーミンと言えども決して心は穏やかではなかったはずだ。おそらく「そうかい、みゆきが拓郎なら、アタシはトノバンで行くよ」・・とこれまた土着の対極にいるハイソな神・加藤和彦を抜擢し、2009年のコンサートツアーでは、コラボ曲「黄色いロールスロイス」でステージの共演をもしてみせた。しかしこの時もうトノバンは・・・(略)

 以上は私のまったくの妄想だが、このように2人の女王の愛のうねりに翻弄される御大は・・・たぶん「どっちも怖いおねーさんだよなぁ」と嘆息しつつ、妻の待つ家路を急ぐことしか考えていない。
 この作品は、そんな壮大なドラマを・・全く語っていないが、ドラマの元となる御大の土着でありながらも耽美で洗練されているという対極の中に宿る魅力が体現されている。この作品からあふれくる少し心が高鳴るような心地よさが嬉しい。それで十分か。

2015.9/27