uramado-top

ハネムーンへ

1980年
作詞 吉田拓郎隆 作曲 吉田拓郎
アルバム「Shangri-la」

レゲエという魂の律動

 同じアルバム「シャングリラ」所収の「いつか夜の雨が」の項で書いたとおり、70年代後半から80年代前半にかけての拓郎の「レゲエ」への傾倒は見逃せない。このアルバムの中では、「ハネムーンへ」が一番レゲエな演奏になっている。
 当時レゲエが大流行していたが、拓郎のレゲエはただのファッションではなかった。加藤和彦のレゲエ調の作品を「コレは本物ではない」と切り捨るなど、拓郎は、むしろ当時の薄っぺらな流行を苦々しく思っていたふしがある。自らも語っていたように拓郎にとって、「レゲエ」=「ボブ・マーリィへの敬愛」であったようだ。拓郎は、ボブ・マーリィのレゲエを「まるで地団駄を踏むような」と賞賛していたが、まさに魂(ソウル)の律動に共感していたのではないか。当時の拓郎のMCで頻出していた「魂をこめて歌う」「ソウルだけは負けない」というフレーズからもうかがえる。
 そして当然のことながら、81年のボブ・マーリィの急死は、とてもショックな出来事だったと語っている。ボブ・マーリィから相承した「ソウル」は、レゲエというフォームにこだわらず、当時の王様バンドとの熱き演奏にこめられていったに違いない。
 ・・と言っといて、いきなり落とすようで申し訳ないが、歌と演奏はともかく「ハネムーンへ」のこの詞はどうよ。この出色のサウンドで、結婚披露宴のシビアな現実を歌う必要があったのか。「結婚しようよ」を書いた本人とは思えないクールで救いのないな詞、・・・いや、結婚のプロだからこそ書ける詞なのか。「親戚家族」「大安」「新婚初夜」「夫と妻を誓うや」というフレーズが、このカッチョいいサウンドに適合しているのか。疑問を拭いきれない。
 言うまでもなくアルバムの原曲は、ブッカー・Tによって作られたが、帰国直後の80年春ツアーでは、松任谷正隆のアレンジによって、ゴージャスな演奏としてパワーアップし、つま恋85では、王様バンドによる決定版的な演奏が完成する。つまりは、ステージで演奏されるたびにどんどんかっこいい先鋭な演奏になっていった。詞に文句を言いつつも、この演奏には思わずシビれてしまう。これこそがソウルな演奏の力なのだろうか。

2015.12/5