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ひとつの出来事

1976年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
」アルバム「明日に向って走れ」

ひとつにこめられた愛と渾身の深さを知れ

 「身を削るような歌」とは、まさにこの歌のためにある言葉だろう。「離婚は人生の模様替え」とうそぶいていた拓郎だが、2009年の田家秀樹「終わりなき日々」のインタビューでは、その人と添い遂げられなかったという「離婚」こそが自分の人生の最大の挫折だったと心情を吐露した。まさに「離婚」という大きなひとつの出来事の渦中に満身創痍だった拓郎。
 この作品の苦しみに満ち陰影のある歌声は、テクニックだけではなく、ボロボロの身体ごと歌っているためだと言った方がいい。自由の旗手というイメージをほしいままにした拓郎から「縛り付けたい僕だから」という赤裸々な告白にも似たフレーズが出たことに驚く。そして「乗り遅れたウスノロだから」と自分に鞭打つような凄絶なボーカル。
 小品だが、アルバム「明日に向って走れ」のコアになって全体に陰影を与えている。前作の怒涛の名盤「今はまだ人生の語らず」に続き、しかも輝けるフォーライフレコード第一弾のアルバムとしては、意外な作品となった。とはいえ、なんとリアルな愛と哀しみに満ちた作品でありアルバムであることか。「インパクトがまるでない」と酷評した冨澤一誠。薄っぺらな”生き様男”にはわかるまい。
 発売当時、当時のラジオ番組「マクセル・ユア・ポップス」(なつかしー)に出演した拓郎は、パーソナリティの高橋基子(これまたなつかしー)と、いつになく真剣に話し込んでいたのを覚えている。75年のつま恋、フォーライフ設立、そして離婚。ああ、拓郎は高橋基子に心を開いているのだな思った。そして高橋基子がしみじみと「昨年は「ひとつの出来事」どころではなかったわね。」「ああ、そうでしたね」憔悴したような拓郎の返事とともに、この作品が紹介された。
 また、この作品は、76年の明日に向かって走れツアーのオープニング・プロローグに流された。その後の一曲目のファンキーな「春だったね」と凄いコントラストではないか。
 コントラストといえば、作品中の「元気ですよと答えよう」。これは、80年に発表される意気軒昂な名曲「元気です」と全く同じフレーズだ。かの曲とこの曲も、光と影のように曲調が対照的に異なるが、この二つが不即不離の背中合わせであることがわかる。
  吉田拓郎の「元気」は、満身創痍の泥沼から立ち上がることなのだということをあらためて思う。何度でも言うがそこいらの巷の「元気ソング」などとは全く無縁のものだ。拓郎だから創り得た渾身の一曲。

2015.10/13