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ひとり想えば

1976年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「明日に向って走れ」/アルバム「明日に向って走れ」

ひと想い、ふた想い、含羞の人

 「ひとり想えば」・・・内省的なタイトルにもかかわらず、作品は軽快でポップだ。軽快とは別にやや作品の存在自体が軽い気もする。あのな。シングル「明日に向って走れ」のB面だが、やはりA面のインパクトが強く目立たない。TBSの「セブンスターショー」のラテ欄には、演奏曲として「ひとり想えば」がリストアップされていたが、これも演奏されなかったし(笑)。
 アルバム「明日に向って走れ」にも収録されたが、このアルバムの沈痛な空気の中にあって、数少ない陽性の作品として、アルバムの雰囲気をcheer upすべく孤軍奮闘しているが、どうも重たいアルバム・カラーに押しつぶされてしまっている感が強い。
 この作品が本来のいきいきした姿を見せたのは、アルバムから離れた、76年のコンサートツアーでノリノリのロックで演奏された時と79年篠島の第2ステージに「春だったね」に続いて瀬尾一三オーケストラによってゴージャスな演奏を披露された時だったと思う。観客ものびやかに大歓迎して盛り上がった記憶がある。

 さて詞のキーワードは、「テレ笑い」。「テレ笑いだけが、いつまでも自分の若さだとテレ隠し」と歌われる。前年の作品「流れる」にも登場する「掴み取った夢を握り、テレ笑いで嘘だというのみ」。
 結構肝心なところでテレてしまうのが、吉田拓郎だ。ライブや自分のラジオ等では、豪放かつ能弁な語りで魅せる拓郎だが、例えばたまにアウェーのテレビ番組に出て司会者やインタビュアーに話しかけられ・・特にヨイショされたりすると、うつむいてしまって「あ。」「いえ。」「はい。」としか言えなくなる。たちまち「テレ隠し」「テレ笑い」のモードに入ってしまう。一番記憶に新しいのは、初期の「LOVE2あいしてる」の状態か。ともかくこのテレモードのギャップの大きさにファンは何度歯がゆい思いをしただろうか。
 教授こと坂本龍一がかつて85年のオールトゥギャザーナウで初対面だった拓郎の様子を「自分でもコントロールできないシャイネスを持つ人」と記していたが、言いえて妙だ。ああいうアウェーの場所で図々しく自己主張やアピールができない「含羞の人」であるところに、拓郎の魅力はある。だから、いつまでもテレ笑い、それでいいのだ。  てか、なんで「教授」なんだ、そっちの方が気になる>よしなさいっ!

 で、話は戻るが、この作品のポイントは二つ。間奏で手拍子が打ちたくなるところと、一番最後のリフレインで「夢になるもうひと想い↑とメロディーが突き抜けるようにアップするところの気持ちよさだ。

2015.9/26