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早送りのビデオ

2009年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「午前中に・・・」/アルバム「18時開演」

ひと想い、ふた想い、含羞の人

 吉田拓郎は、1970年11月にデビューアルバム「青春の詩」をリリース、新人歌手として実質的に動きだしたのはほぼ1971年ころか。その1971年の初めには広島から出てきた何の後ろ盾もない一人の無名に近い若者だった。その若者に 例えば、その後75年までの実質4年の間に何が起きたのか観てみると・・・。

 中津川フォークジャンボリーで一躍フォーク界の英雄として祭り上げられ、「結婚しょうよ」「旅の宿」等の作品を大ヒットさせ音楽市場を席捲し 人気とともに多くの敵を作り、喝采を浴びる反面、「帰れコール」を始め、アンチやマスコミや世間との抗争が始まり、既成の芸能界・テレビ界を拒絶して、自分たちの音楽事務所・プロダクションを立ち上げ、日本に新しい音楽ジャンルを確立し、全国の若者の魂を揺さぶり、日本で初めての「コンサート・ツアー」というモデルを企画・実現し、全国を精力的に歌って回りながら、数々の名曲を書き、「人間なんて」「元気です」「伽草子」 「ライブ73」「今はまだ人生を語らず」等の後世に残るハイクオリティの名アルバムを 立て続けに制作、 他方で歌謡曲の歌手にも楽曲を提供し「襟裳岬」でレコード大賞受賞、「我が良き友よ」大ヒットなどをものにし、毎週深夜放送で若者に熱く語り続け 、そしてついには前代未聞、アーティストによるレコード会社を設立し音楽業界を震撼させ、これも史上初の音楽イベント、つま恋の6万人のオールナイトコンサートを成功させた。 プライベートにあっても、実父を亡くし、結婚し、子どもが生まれ父になり、そして離婚し、その間、金沢事件という冤罪事件に巻き込まれ逮捕・勾留までも経験する。

・・・・ああ、書いているだけでも疲れる・・・

 あの偉業もあの名曲・名演もあの事件も、僅かたったの約4年の間に起きたという事実にあらためて驚く。普通の人間が20年いやそれ以上の時間をかけても経験できないことを一気に4年間ちょっとでやってのけた。「拓郎さんは何年間かで一生分生きた気分だったのではないか」 と看破した作詞家・阿木耀子はさすがだ。
 70年代の昔から拓郎はずっと事あるごとに「疲れた」「やめたい」「飽きた」などとウシロ向きな発言を続けてきた。これは、ウンザリするくらい超濃密な時間を生きたからだ。
 よく同年代の小田和正はじめ活躍している他のアーティストは、今もみんな元気じゃないか、と世間は言う。拓郎一人が老け込んで病弱になってしまったなような言い方に聞える。しかし、拓郎に比べれば、彼らはスカスカな時間をスカスカに生きてきただけだから、疲れていないだけだ。拓郎の濃密な時間と果てしない消耗の上に作られた舗装道路の上を気楽に走っているだけだから疲れようがないのだ。暴言多謝。

 で、やっとこの作品の話だが、これはライブバージョン「18時開演」のものがベストテイクで決まりだ。拓郎のギターとエルトン永田のピアノの醸し出す美しい寂寥感。ボーカルには怨念と気迫がこもっている。たとえば「あんなやつになんか負けてなるものかと・・」に籠る気迫、そしてそれを感じとり、拍手でさざ波立つ観客たち。すばらしい。

 濃密な時間を生きた「吉田拓郎」しか歌えない、歌ってはならない名作だ。you tubeとかで平気でカバーしている人々、畏れ多いぞ。

2015.9/27