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ハブ・ア・ナイスデイ 天然色写真編

1972年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「ハブ・ア・ナイスデイ」

CMウォーズ帝国の逆襲

 この作品は、1972年春、フジカラーのTVCMソングとしてお茶の間に流れた。富士フィルムの社史サイトによれば、「テーマを“Have A Nice Day”とし,さらに「気ままに写そう この日この時」というサブフレーズをつけて若者たちに写真の楽しさと大切さを訴える」・・というコンセプトとのこと。そんな狙いを見事に活現させ、世間を席捲した一曲だ。
 当時、まだ「吉田拓郎」なんぞ全く知らない私や私の小学校の生徒の間でも「♪色っぽいということは~」「♪はぶ あ ないすでい」と歌っていたものだ。どれだけ世間を席巻していたかは肌でわかる。
 全長わずか60秒の作品に、ユーモアとペーソス溢れるドラマが凝縮されたキャッチーな詞、聴く人の心を柔らかくほどくような屈託のないメロディー。これまでの日本のCMソングの歴史的名曲群に恥じない天才の技だ。
 しかし、時は“帰れコール”の真っ只中。大資本の宣伝歌を歌うとは商業主義の極みであり、コアなフォーク・ファンからはこれまた格好の非難のマトにもなったようだ。残念ながら「音楽的視点」からの評価はそこにはない。
 その翌年の73年に「はっぴいえんど」を解散しソロになった大瀧詠一は三ツ矢サイダーのCMソングを手掛けたが、最近のネットや文献を観るとこっちの評価の方が目立つ。「CM新時代は大瀧のサイダーのCMソングから始まった」と言うサイトまである。なんてこったい。もちろん大瀧詠一が偉大な巨人であることをくさするものではないが、おれらの小学校では、「サイダー」の唄なんて誰ひとり歌ってなかったぞ。
 例によって欲のない御大はこの名曲を非売品ソノシートのまま永らく放っておいたが、大瀧詠一のようにきちんとレコード・CDにして記念碑化しておけばよかったのかもしれない。「僕らの旅」も「僕の旅は小さな叫び」も「ウィスキークラッシュ」も無造作に捨て置かれたままだ。いいのかそれで。
 大瀧詠一といえば、拓郎は最近になってよく「『はっぴいえんど』の松本隆と鈴木茂とは仕事をしたけれど、細野晴臣と大瀧詠一とは不思議なくらいまったく縁がないんだよ」と述懐する。細野、大瀧のインタビュー等には拓郎の話は殆ど全く出てこない。ある音楽評(「ラヴ・ジェネレーション 音楽の友社ムック」)では、「吉田拓郎とはっぴいえんどには殆ど接点はない」と断じ、「細野・大瀧両名は、吉田拓郎が、目の上のタンコブだったに違いない。」と率直にコメントされている。また「ミュージックマガジン2015年7月号」の松本隆のインタビューでは「拓郎は細野さんとはうまくいかない」とも語っている。そうか。拓郎は細野・大瀧両陣営からは嫌われるか、少なくとも敬遠されていたのだ。例えば前年のこの「ハブ・ア・ナイスディ」がなければ、大瀧詠一は、名実ともに新時代のCMソングの始祖と言われたはずだ。その後の歌謡曲への幅広い作品提供も含めて、どうしてもいろんなことを一歩先に拓郎に派手にやられてしまう。
 拓郎は、上京したときの気概を「アンチ東京」「東京になんか負けない」と語っているが、その「東京側」から見れば、細野晴臣・大瀧詠一(ご出身は岩手だが、東京の大学時代から本格的に音楽活動されていた)らの東京の音楽通いや、もはや「碩学」のレベルの天才二人からは「広島くんだりから出てきた粗野なにいちゃんが勝手に音楽界を荒しおって」と苦々しく観ていたのではないか。
 しかし、天才のみが天才を知るように細野・大瀧らは、拓郎がタダのにいちゃんではないことがわかっていたので、あれこれ面倒なので「ジャンルが違うフォークの人」としてシールドを下ろし静かに距離を置いたのだろう。つまりは、勝負は自然に音楽のクオリティでつくものという悠揚とした天才の構え。例えば、森進一の「冬のリビエラ」(松本隆詞・大瀧詠一曲)は名曲だが、これは「襟裳岬」への刺客だったような気がする。考えすぎか。
 とはいえ、昨今の山下達郎との急接近を見ると、大瀧詠一とも「お互いエレックではひでぇ目にあったよね」と意気投合出来た可能性はなかったのかと残念にも思う。私に音楽界の稀代の巨人である大瀧詠一を語るほどの知識はないが、音楽的な茶目っ気に溢れ、仕事を億劫がるところも良く似ている。かつてLOVELOVEの「幸福な結末」に大瀧詠一がコーラス出演した時、二人は顔を合わせ何か話をしたのだろうか。大瀧詠一逝去の今となってはすべては妄想でしかない。
 ともかくこののびやかな作品を歌う吉田拓郎は、フォークの裏切り者と非難されたり、音楽がわかる者からは敬遠されたりと報われない。
 今や「はっぴいえんど」は、音楽評論界も巻き込んだ一大学派だ。したり顔で「はっぴいえんど」を論じれば「音楽通」として学位がもらえる学界みたいなものだ。しかも、この学派は、吉田拓郎には冷淡であるという傾向が強い。松本隆の作詞世界の人脈と合体するともはや「風街帝国」ともいうべき強大な存在だ。かくして吉田拓郎の孤独な旅路がここにある。御大、私たちがついているぞ。いかん暗くなったな。「気ままに写そう編」に続く。

2015.12/5