uramado-top

ハブ・ア・ナイスデイ 気ままに写そう編

1972年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「ハブ・ア・ナイスデイ」

偉大なる1分間

 1980年のこと、若き桑田佳祐は、インタビュー(NHKFM「拓郎105分」)に答えて、吉田拓郎から最も影響を受けた作品としてこの「ハブ・ア・ナイスディ 気ままに写そう編」を挙げた。
 「をを、そう来たかっ!?」と意外な選曲に驚いたが、軽やかなポップ、どこかテキトーで、それでいてウキウキしてしまう抜群のメロディー。なるほど桑田の作品と通底する気がする。ともかく、日陰に忘れ去られたこの作品をよくぞ拾い上げてくれたもんだ。
 ボブ・ディランの解説書「ディランを聴け」を著した音楽評論家の中山康樹は、サザンの全曲解説「クワタを聴け」を著す。その「吉田拓郎の唄」の項で、ボブ・ディランを信奉していた桑田は、拓郎のボブ・ディランについての解釈に目に見張った・・・という趣旨のくだりがある。中山さんにしては持って回った表現だが、たぶんこういうことだ・・・。
 日本では、「ボブ・ディラン」=「ギター抱えて反戦メッセージを深刻に歌う陰気なフォークシンガー」というパブリックイメージが強い。岡林信康はじめ日本のフォークの人々の大多数はそこに影響を受け自分たちも踏襲してきた。
 しかし世界でのディランに対する評価は、フォークシンガーにとどまらず、天才ポップメーカーでありまたロック・ロックンローラーでもあり、偉大な「音楽家」であると言う点にある。その音楽的本質をきちんとキャッチしていたのは、たぶん日本のミュージシャンではほとんど拓郎だけだった。そののびやかな音楽的感性に、桑田は共感し敬意を表したのだった。・・・ということだよね、中山さん。
 後に桑田が「日本人は、勘が悪い。『吉田拓郎』は、アメリカだったらもっともっと尊敬されているはずだ」と語ったこともそういう脈絡だと理解できる。拓郎にしても桑田ほど激賞した後輩はいないであろう。「スピード・スリル・サスペンス」と評し、桑田の痛快で破天荒な音楽性を絶賛してきた。一見恩讐に満ちたような「吉田拓郎の唄」は、言うまでもなく拓郎への深い愛の唄である。
 また、かつて桑田の歌詞に長渕が噛みついて物議を醸した長渕・桑田論争は、桑田の謝罪というショボイ幕引きだったが、この時拓郎は、「桑田クンは何を歌ってもいいんだ」と長渕剛ではなく桑田を擁護したこともあった。
 その後、2007年の拓郎が無念のコンサートツアー中止の倒れ世間の表面から消えた際に、桑田圭祐から「テレキャスター」がさりげなく贈られたのも記憶に新しい。
 さまざまな「点」から垣間見える二人の関係。師弟関係なのか、先輩後輩なのか、友人関係なのか、外からはわからないが、おそらく適正なる距離と緊張を保った信頼関係が二人にはあるように思える。間違いないのは、その「音楽的絆」がこの作品だったことだ。
 「ハブ・ア・ナイスデイ」は、2009年の最後の全国ツアーのタイトルとして冠された。前哨戦のNHKテレビでのライブ「大いなる明日」では、オープニングにビッグバンドによってインストで演奏され、聴いてて胸が熱くなった。やはり間違いなく、小品ながら、吉田拓郎のエッセンス、音楽的才能の結晶のような作品、まさに「小さな巨人」だと確信する。こういう作品を無造作に放置してきた拓郎。まさに「美徳のつもりが罪ばかり」とはお見事な桑田佳祐である。勲章貰って謝っている場合ではない。

2015.12/5