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二十才のワルツ

1980年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「アジアの片隅で」/シングル「サマーピープル」

青年よワルツとともに旅立て

 80年代のアルバムの最高傑作は、「アジアの片隅で」なのか「フォーエバーヤング」なのか、いつも激しい論争が繰り返されて結論が出ない。どこで論争しているかって、そりゃ私の頭の中だ。>ヒマだな、ほかに考えることないのか。
 アルバム「アジアの片隅で」が魅力的なのは、アグレッシブなメッセージのタイトル曲とともにこの切ない心情のワルツが並んでいるというフトコロの深さにあると思う。
この詞は、ハタチの拓郎が、広島から上京する際の情景をモチーフに描かれている。年齢からすると、第一回の上京=検見川の広徳院の生活につながる旅立ちだろう。拓郎の話によれば、当時好きな女性に「頼むからもう一晩だけオレの話を聞いてくれ」と迫ったところ「もう会いたくない」とフられて、いたたまれず広島を去ったという。
 まだ見ぬ世界への希望と今ここにある傷心とが織りなすように組み立てられているこの作品の深奥が覗く。特に「想い出は消えるほどに他かな姿をををを・・」「男と女はどこかでちーがうぅぅぅ・・」この辺からのメロディーのドラマチックな展開と絶唱は涙腺をこれでもかと刺激してくれる。
 ちなみに、拓郎がこの女性にかつて送ったのが、ビートルズの「ホワイトアルバム」。その中で彼女は「ジュリア」が好きだったらしく、拓郎は「ジュリア」を何回も聴きながらその娘に思慕を募らせていたという。「二十歳のワルツ」が教科書とすると「ジュリア」は副読本みたいなものか。いみふ。
 この作品は、アルバム「アジアの片隅で」が発表される3か月前の80年7月の武道館の弾き語りコーナーで新曲「ワルツ」として披露された。翌年春のシングル「サマーピープル」のB面に入れられた。テイクはアルバムと同テイクだが、シングルでは後奏に拓郎のギターが付加されている。とはいえ、こういう遅れたしかもB面扱いはいかがなものか。時機を逃さず単体で勝負して欲しかった。そのくらいの名曲だ。
 ステージでは、その出自から弾き語り適合曲のように扱われていたが、81年の体育館ツアーでは、思い切ったフルバンドで演奏された。これがまたすんばらしかった。ドラムのビートがズシンズシン響くハードな演奏。これに呼応する拓郎の絶唱がたまらない。この作品に内在している力を引き出したと存分に思う。これがベストテイクではないかと密かに思っている。たまには、外白の代わりにコレ演っちゃくれまいか。

2015.12/5