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春よこい

2003年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「月夜のカヌー」

上品な荒くれ者のロック

 この少し荒くれた感じのロックサウンドが、実にカッコイイ。男っぽさを漂わせながら歌うボーカルに、ゴツゴツとした鉄骨むきだしのようなバンドサウンドのアシストが効果的だ。アルバム「月夜のカヌー」の中では、このバンドサウンドが最も映えている作品ではないか。
 「荒くれた」「男っぽさ」は、拓郎のトレードマークになっているけれど、世にいう「男らしさ」とは少し違う。まぁ、ぶっちゃっけ言ってしまえば、拓郎の場合「荒くれた」「男臭さ」の中に、そこはかとない「上品さ」「清潔さ」が隠れていることを見逃しちゃならない。えのきどいちろう氏は、それを「ひ弱さ」と言ったが、別の言葉でいえば、愛に満たされて育った「上品さ」といえるのではないか。
 そういう「品」を見落として、拓郎の「男臭さ」にだけかぶれてしまって、全く違う路線に逝ってしまっている人は結構多い。筋肉DV系とでもいうか。いえ、特定の人を指しているわけではない。拓郎には、そういう路線とは違う「品」があるという話である。
 ま、それは置いといて、バンドサウンドである。島村英二をはじめとする5人の武骨なミュージシャンのサウンドはどこまでも力強く堅牢だ。王様時代を彷彿とさせる。
 「だからどうした」といわれるかもしれないが、この作品の発表時を思い起してみよう。LOVE2の華やかな蜜月が終わり、フォーライフもユイも失った拓郎は、幻の企画「公民館ツアー」の夢も破れ、エアポケットに陥ったような「浪人」ぽい時期を過ごしていた。そんな拓郎が、再び音楽界に、シンプルで屈強なバンドサウンドで打って出るという、その心意気が妙に嬉しかった。そういう歴史的な背景もある。
 この作品中の「生きてここまで来た潔く生きてきた」「変わり続けてきた、潔く捨ててきた」これらのフレーズがとても印象に残る。というか、ここがこの作品の「華」だろう。これらのフレーズをここまで、説得力をもちながら、身をもって歌えるのは、吉田拓郎だけだ。確実に自分の来し方、生き方とシンクロしている素晴らしさがある。
 上品さに裏打ちされた荒くれ感・・・なんか矛盾した表現のようだが、微妙なバランスの上に、それらが混然一体に成り立っている拓郎を味わおうではないか。

2015.11/1