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春になれば

1977年
作詞 喜多条忠 作曲 吉田拓郎
アルバム「ぷらいべえと」

春が来た、春が来たヤッホー、ヤッホーな名曲

 有名な提供曲とカバー曲だけで構成された異色のアルバム「ぷらいべえと」。この「春になれば」も、小坂一也への提供曲だが、当時は提供してからあまり時間が経っていなかったためか、アルバムの中では、唯一、「新曲気分」を味わえる一曲だった。
 「悲しみが心の扉を叩くまで 人はそれまでの幸せに気づかないんだね」・・・・・喜多条忠の詞が冴える。75年ころから始まった喜多条忠との蜜月の成果物のひとつだ。この詞のおかげで春になると「ポピーの花」が気になるのは私だけか。
 愛した人がいない喪失感と悲しみを湛えながらも、拓郎のメロディーは、まさに春の陽射しのように明るい。そんなライトなポップスに仕上げる、拓郎のウデにしびれる。拓郎本人のアレンジも素晴らしいし、聴く人の心身を柔らかくほぐしていくような温かな演奏。この作品は、そんな「ぷらいべえと」の真骨頂ではないかと思う。
 当時、小坂一也は、ロカビリーにカントリー&ウエスタンのベテランであり、拓郎にとっては憧れのビッグネームだったようだ。だからこそフォーライフにお招きしたのだろう。
 しかし、小坂バージョンを聴くと、味わいあるボーカルながら、どうしても職場の上司のカラオケを聴かされているようなトホホな気分になってしまう。あくまで個人の感想だ。
 ただその点は拓郎も愚痴っていた。小坂さんは音程悪いし、スタジオでハンドマイクで歌おうとするし、ボーカルの二重録音の意味がわからなくて、二回目をかぶせて歌うときは、「あ、もう俺の唄が流れてるから歌わなくていいや」と歌わなくなったり、その天然ぶりに拓郎も苦労したようだ(笑)
 しかし、この小坂バージョンを聴いてから、再び拓郎本人歌唱を聴くと、いやぁ、拓郎はイイ声だなぁ、歌うまいなぁとあらためて感じ入る。拓郎を実にすんばらしく引立てていただいた小坂バージョンに感謝したい。
 ボーカルといえば、この「ぷらいべえと」は、体調不良、深夜録音の繰り返し、という逆境にあったことはつとに指摘されている。拓郎本人曰く体調を崩して「芯のない声」になっていたそうだ。この時、ディレクターの常富さんの発案で「ディレイマシーン」を使用した。エコーの一種なのだが、二重録音の厚みで聴こえる当時の文明の利器。「ぷらいべえと」ではこれが多用されているとのこと。当時プロモで出演した「小室等の音楽夜話」で実際にディレイマシーンを実演していた。即興で「ディレイちゃんの唄」とか歌いながら。くだらねぇなぁとラジオの前で呆れなが笑っていたのを思い出す。
 「ぷらいべえと」は売上枚数こそ高かったものの、コアなファンの評価は低かった。オリジナル曲はないし、鼻声だし、金儲けのための企画盤だろうとさんざん酷評された。自分もそういった残念組ファンの一人だったと思う。
 しかし「ぷらいべえと」が、かくも愛しき名盤であることに気付いた今、この「春になれば」を聴くと、膨大な時間が経つまで「人はそれはまでの幸せに、過ちに、気付かないんだねぇぇぇ」と拓郎に怒られているような気がちょっとする。

2015.11/1