春だったね
作詞 田口淑子 作曲 吉田拓郎
アルバム「元気です」/アルバム「よしだたくろうLIVE'73」 /アルバム「みんな大好き」/ DVD「吉田拓郎LIVE~全部だきしめて~」/ DVD「89 TAKURO YOSHIDA in BIG EGG」 /DVD「TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005」/DVD「TAKURO YOSHIDA LIVE 2014」
その永遠の一曲目に
ファンならご理解いただけよう。この作品は内容とは関係なく「始まりを告げる砲撃」の合図だ。作品そのものに「怒涛のオープニング感」とでもいうべきチカラがみなぎっている。もう聴くだけで、アドレナリンも血圧も一気に上昇、幕の開いたコンサートがどう転がっていくのかというワクワク感に胸が高鳴ってしまう。拓郎は、つま恋2006で「君たちの大好きな歌を歌ってあげるから」とこの作品を紹介したが、作品の好き嫌いというより、長年のオープニング感の条件反射で身体が自然に反応してしまうというのが真実ではないか。
名盤「元気です」の第一曲目として発表され、翌年、これまた名盤「ライブ73」の歴史的オープニングを飾る。「元気です」が松任谷正隆のファンキーなハモンドオルガンなら、「ライブ73」は、高中正義の唸りまくるギターがフィーチャーされ、ポップスとロックという変化のふり幅の大きさもまた素晴らしい。個人的にはLIVE73の「春だったね'73」は、もはや神曲そのものだ。これを聴く時の胸の高鳴りは、中学生の時も今も変わりない。音楽の神様と吉田拓郎と高中正義たちが、しっかり手を携えて結縁しているとしか考えられない素晴らしさだ。その後のライブでは、このライブ73のロックバージョンをベースに、数多くのステージの一曲目を飾ってきた。「ああ青春」がイベントのスタートスイッチなら、コンサートのスタートスイッチとして定着したのであった。
作品内容としては、特に、世の中に衝撃を与えた「くもりガラスの『窓をたたいて』」の歌い回し部分(二番は『タンポポを添えて』)。初めて聴いた時は中坊だった私も、なんなんだコレはっ!!とひっくりかえって驚いたものだ。
拓郎本人は「ボブ・ディランの歌唱」をマネただけだと言葉少なに語る。しかし、このボブ・ディランのエッセンスをきちんとマネ・・というか「相承」できたのは、世界で吉田拓郎だけである。たぶん。
ディランにしても拓郎にしても、「字余りソング」と一括されるが、「字余りソング」と言う言葉には、どこかメロディーに言葉を収められなかっただけじゃないかという揶揄が含まれている気がする。これは激しく違う。そもそも「字余りソング」とか平気でいう人は音楽をわかっていない人なので相手にしない方が平和に暮らせる。
この「春だったね」がいい例である。歌詞の言葉がホップするようなときめき感あるメロディー。フライパンの上のポップコーンが弾けていっぱいになり、フライパンの外にぴょんぴょん飛び出していくような躍動感。音符♪から溢れ出た言葉も、本体のメロディーとともに跳ね回る。ただ溢れ落ちたのではなく、溢れた言葉たちにも音楽の魂がみずみずしく宿っているのである。こぼれ落ちた言葉たちもメロディーに寄り添い音楽と一体になっている。
ここにディランと拓郎の真骨頂があると思う。ただ字が余っているのではなく、天才的な音楽的才能に裏打ちされたればこそ、初めてできる技なのだと思う。吉田拓郎やボブディランの「字余り」スタイルだけを、安易にまねようとしたミュージシャンは多いが、ほとんどすべてが討死しているのがその証拠だ。
ディランといえばこの作品は、ディランの「メンフィス・ブルース・アゲイン」のパクリだと言われ、誰より本人が自虐的に語っていたこともあるが、これはパクリてはなく「インスパイア」にすぎないことはもちろんだ。
「春だったね」を聴きこんでから「メンフィス・ブルース」を聴くとディランの深い音楽性がよりわかるし、「メンフィス・ブルース」を聴いてから「春だったね」を聴くと拓郎ののびやかな音楽的感性に胸を打たれる。どっちが先かとかパクリかどうかとか、あまりに話が小さい。世界で二人しかいない匠の技の競演にこそ私たちは酔うべきだ。
パクリといえば、スピッツの草野マサムネが代表曲「君が想い出に変わるまで」は「春だったね」の歌詞をパクリましたと述べているが、正直に言ってくれたことが嬉しい、だから気にするな>何の権利があって言ってるんだよぉ
詞といえば、どこの誰かは知らないけれど誰もがみんな知っている・・・田口淑子さんの謎は「むなさしだけがあった」の項で悩むこととしたい。
2015.11/3