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腹へった

1972年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「たくろうオンステージ第二集」

二度目の夜、永遠の夜

 オンステージ第二集では、「腹へった」とクレジットされているが、原題は「腹ペコの歌」という・・・かなりどうでもいいことだが。今や拓郎ファンの聖地のひとつ千葉県検見川の「広徳院」での居候・修行中に作られた作品だ。
 拓郎のプロデビューは、70年に「イメージの詩」のレコーディングのやり直しのために上京したことがキッカケだが、この時が初めての上京ではなかった。その約3年前に、大学を休学し、プロへの野望を抱いて上京し、広島の河合楽器の知り合いの方の実家である「広徳院」で半年を過ごす。しかし、音楽は認められず、今もMCで語られように、ビレッジシンガーズの前座で歌ったりするほかは、バイトに明け暮れる日々であった。生活も楽ではなくラーメンばかり食べて「身体がまっ黄っ黄になり」、ついに栄養失調になって倒れ、プロの夢をあきらめて広島に帰るのであった。
 R&Bを意識した実にカッコイイ、メロディーなのだが、ホントに本人が空腹だったとすれば、なんてリアルな作品だろうか。拓郎と陽水のデビューについての共通点は、どちらも一度は東京に上京しながら、挫折し故郷に帰ってきたという辛酸をなめているところだ。想像するだに辛い屈辱の経験だったに違いない。武田鉄矢は、東京で挫折して博多に帰ってきた時の井上陽水のみじめな姿を観ていられなかったと語っていた。んまあ、アンドレカンドレなんて芸名で出ちゃってたからね(T_T)。
 しかし拓郎の場合は、広島の「ダウンタウンズ」の仲間たち、そして家族が、温かくその帰還を迎えたことが窺える。「友や家族の手招きほど懐かしく」という「元気です」の歌詞が思い浮かぶ。嬉しかったんだろうね。そしてやがて広島フォーク村に音楽活動を広げ、かけがえのない青春時代を過ごす。そこから道がつけられたようにプロデビューの糸が繋がっていく。こんなことからも拓郎が今もダウンタウンズや広島の仲間を大切にするのは、とてもよくわかる気がする。
 一度目の上京の時に作られた作品は、反戦や社会風刺の歌が多かったと言われている。この作品も山谷ブルース的な労働者の階級闘争的な色彩がある。このときの殺伐とした心情を反映していたかのようだ。本人は、最初は辛かったろうが、広島への帰還、そこでの愛に満ちた人々とのあらためての音楽生活、これが、拓郎の唄を実にゆたかなものにしたひとつの要因に違いない。
 そして、本人も言うように、二度目に上京した時には、一攫千金の野望やガツガツした出世欲とも無縁で、「嫌なことがあったらいつでも愛のある広島に帰ろう」というスタンスでいられたことが、拓郎の音楽をより清廉なものにしていったのだと思う。かくして、この一度目の挫折があればこそ、拓郎の唄は愛に満ちたものに熟成されていったのではないかと思う。とにもかくにも河合楽器のピアノのセールスマンにならずに二度目の上京をしてくれたから、私の今がある。いろいろな意味で感謝申し上げる。

2015.12/5