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花の店

2003年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
アルバム「月夜のカヌー」/アルバム「豊かなる一日」/DVD+CD「TAKURO YOSHIDA 2012」

その風景の先に、何がある、何がある

 とにかくまず、この作品が大好きな方々にお詫びしておきたい。イイこと書いてありません。特にライブでの演奏頻度の高さから考えると、誰よりも吉田拓郎御大ご本人が、この作品を一番好きに違いない。というわけで御大、不肖のファンをお許しください。
 もちろん哀愁を含んで、ドラマチックに展開するメロディーは秀逸だし、ライブでの練り上げられたカッチョイイ演奏にも文句などあろうはずがない。しかし、しかし・・だ。「花の店は坂の途中、花の店は坂の途中」と連呼されると「それがどうした」と心の底から思ってしまうのだ。「老人、カップル、男、少女」来店する顧客層を淡々と描写し、「坂の途中」という店舗の立地条件を繰り返す、市場調査か何かか。
 この作品が収録されたアルバム「月夜のカヌー」とほぼ同時に発表されて大ヒットしたSMAPの「世界にひとつだけの花」。こっちも花の店だ。この作品はあざとくて嫌いだという意見もあるとは思うが「花屋の店先に並んだいろんな花を観ていた」・・同じ花の店の店先から、大いなる人間賛歌にまで結びつけている。この作品と比べられてしまうと何だかな。
 とはいえ、岡本おさみの詞のせいにするのも少し違う。インターネットで、この作品の試供盤音源が公開されていたことがあった。そこでの原詩では、将来を誓い祝福される二人の様子や、試練を超えた恋人たちが「寂しくないね。冬は終わったね。」と語らうシーンなどが描かれている。こういったところは、おそらくは、拓郎がカットしたに違いない。なぜカットしたのか。ただの憶測だが、拓郎はあえて具体的な人間ドラマをカットして、一幅の景色つまりは風景画を歌おうとしたのではないか。
 昔、拓郎はヒューマン・ウォッチングが好きだと語っていたことがあった。風景の中の人間の動きを眺めながら、自分の頭の中でドラマを浮かべていくことが好きなのだという。というわけで、拓郎は、あえて個々の人間の具体的ドラマを削ぎ落とした風景画を提示して、具体的なドラマは、この風景画を観る人、つまりは作品を聴く人それぞれの頭の中で描くようにという意図だったのかもしれない。言ってみれば風景画の実験か。
 しかし、やはり私は、拓郎の紡ぐ人物ドラマを観たいし、聴きたいのだ。拓郎は、風景画よりは人物画こそ真骨頂と思う。花を愛でるお客さんたちや店主・店員のひとりひとりに隠れたドラマを饒舌に語り起こしてほしい。字余りで長くなってしまっても構わない。そんときゃタイトルは「花の店の一番長い日」・・って、さだまさしだろ、それじゃ。 サウンドはステージを経るごとにどんどん練れてカッコよくなっているだけに、やや残念だ。

2015.10/11