はからずも、あ
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「176.5」
アンダーなポップで行こう
「はからずも あ」。なんというタイトル。全体にみなぎる軽さとテキトー感。吉田拓郎の詩集「BANKARA」のあとがきで小池真理子が、70年代の初頭、若者たちのフォーク談義の中で「拓郎は思想性が無さすぎる」と不満が述べられる様子を描いている。
確かに、この曲には思想のカケラも感じられないわな。しかしトホホな気分になってはいけない。それがどうした。思想は岡林信康に任せればいいのだ。この軽さこそが御大なのだ。そもそも御大の「軽さ」は、古典でいう「軽み」という立派な手法である。・・と思うよ。「平明な言葉な言葉で、日常身辺のさりげない事象を描写しながら、かつ自然や人生への深みへ入っていくような俳諧の手法を、軽みという」と古典の教科書には書いてあるが、それにしてもまぁかなり軽みすぎだ。
この作品の真骨頂は、メロディー=音楽性にあると思う。岡林にあって拓郎にないものが「思想性」だというなら。拓郎にあって岡林にないものは「音楽性」だ。すまん。
難しいことを抜きに、この作品に身を委ねてみよう。思わず体が揺れ出してしまうこのビート。アップダウンが気持ち良い、ジェットコースターにのっているような軽くて陽気なメロディー。そう、心地よいポップ感がたまらない。まさに「軽み」を音楽でも表現しているかのようだ。もちろん他の超名曲には及ばないかもしれないが、メロディー展開が実に見事で思わず唸ってしまう。サビの部分の「ダメ、ダメ、ダメ」が、やがて背景のコーラス廻って、踊るように弾みながら、曲を引っ張っていく。 惜しむらくは、これは打ち込みではなく、バンドで演奏して欲しかったなぁ。
筒美京平は、かつて「吉田拓郎くんが“結婚しようよ”で出てきたときは怖いと思った」と述懐した。念のために付け加えるとその時筒美京平は「井上陽水くんはそんなに怖くはなかった」とも語っている。むははは。よしなさいっ。
身体から自然に・・・文字通り「はからずも」溢れ出てくるようなメロディー。そしてその中で「文字」と「♪」が弾みながら舞っているのが目に見えるように踊りだす。筒美京平はそんな音楽性に刮目したのではないか。
岡林信康は持ち合わせないもの=筒美京平が恐れたものが、このメロディーには覗くのだ。「ミュージシャンなんだから思想ではなく音楽を語れ。音楽で語れ」との名言を思い起こす。
2015.10/11