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灰色の世界

1970年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「青春の詩」

すべての虚飾を注意深く拒む青年の憂鬱

 デビューアルバム「青春の詩」の帯には、「フォーク、ロック、ボサノバを歌いまくる」と謳われていた。ということは、これはボサノバに分類されるのだろうか。アルバムには著名なジャズミュージシャンの澤田駿吾カルテットがクレジットされている。・・なーんて、ジャズは全く知らないのだが。代々木駅を降りて千駄ヶ谷に向かう道すがらに「創立者 澤田駿吾」と看板に冠されたジャズ専門の音楽学校が今もある。
 澤田駿吾カルテットには一時期、ジャズピアニストの渋谷毅さんがいらしたことがあるそうだが、このレコーディングの時かどうかは不明だ。しかし、翌年71年、渋谷毅さんの推薦で、拓郎は、渋谷さん作曲のテクニクスのCMソング「僕の旅は小さな叫び」に抜擢されたことを考えると、やはり澤田駿吾さんの繋がりなのではないか。このつづきは「僕の旅は小さな叫び」の項で。

 同じアルバムの「男の子・女の娘」の副題が「灰色の世界Ⅱ」とされたとおり、二つの作品は詞が重なっている部分があるが、サウンドはまるで対照的だ。どこか虚無的で鬱々とした雰囲気のこの作品に対して、明るくポップな「男の子・女の娘」。まさに帯のとおり、ジャンルなど関係ない縦横無尽な音楽的才能の幅の広さを見せつけるかのようだ。

 「孤独をいつしか売り物にして寂しがり屋と勘違いして」の歌詞は、「灰色の世界Ⅰ」と「Ⅱ」のみならず「イメージの詩」とも繋がる。このアルバムのみならず、その後も拓郎の作品を貫く大切なフレーズだと思う。
 「孤独」や「淋しがり屋」を売り物にするような「虚飾」を拓郎は何より嫌った。「傷つきやすい自分」を売り物にしながら、臆面もなく美味しいところをしっかり持っていく人々。他人であれ、自分であれ、知らず知らずにそういう「虚飾」で自分の本当の心が見えなくなってしまう「勘違い」を拓郎は何より恐れる。
 そう考えると「勘違い」と言うフレーズは、歌詞のみならず、ラジオのトークやMCなどで拓郎が実によく頻用するフレーズである。それだけ気にしていることの表れだ。要は、勘違いという落とし穴に落ちずに、自分の心を確かにしておくように格闘しているのが、拓郎の歌だといってもいい。
 それは拓郎の魅力である反面、それゆえに臆面もない売り込みを極度に嫌うことで、損をし続けているような気がしてならない。いつしか世の中は「孤独」や「淋しがり屋」を売り物にする連中ばかりが、平気で王道を歩いてはいないか。
 話しは変わって甲斐よしひろの代表作「破れたハートを売り物に」は、このフレーズに触発されたものではないかと思う。しかし果たして甲斐が、拓郎と同じ深いスピリットで歌っているのかどうかは、・・・・・よくわからない。・・・あぶねー、勢いでなんか言っちゃいそうになった。

2015.9/13