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元気です

1980年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
シングル「元気です」/アルバム「アジアの片隅で」

元気ですの心意気をたずさえて

 1980年、この作品は、ミノルタカメラのCMで人気者となった宮崎美子の主演ドラマ「元気です!」の主題歌となった。「元気です」といえば当時既に吉田拓郎の登録商標のようなものだったが、最初に「シャネルズ」に依頼されたがダメになり(そういえば事件があったよね)、甲斐バンドにも忙しいと断られて、最後に拓郎におハチ回ってきたという。まさに拓郎本人も言う「屈折した経緯」があった。そのうえ拓郎のレコーディングに宮崎美子が来なかったということで、拓郎もかなり怒って一時投げ出したということもあったらしい。
 というわけで紆余曲折あったが、今になってみると、こうして作品として世に出て本当に良かったというほかない。当時のコンサートで、渋谷公会堂の座席に、手書きで「どんどんリスクエストして拓郎をTBSザ・ベストテンに出そう!」というショボいチラシが置いてあったのが忘れられない。力を入れていたのか、いなかったのか、どっちなんだ、フォーライフ。残念ながらベストテン入りとはいかなかったものの、代表曲として末永く今も多くのファンの心に残っていることは確かだ。
 澄みわたる青空ような青山徹のアレンジとギターの導入。どこまでも清々しいメロディーと演奏が心地よい。それに加えて、詞の素晴らしさが際立つ。「幸せの色は日に焼けた肌の色、唇に浮かんだ言葉は塩の味」シンプルだがまるで聖書の一節かのような含蓄がある。「時間を止めても過ぎ行くものたちは遥かな海原に漂い夢と散る」「友や家族の手招き程懐かしく」などなど、なんと深い愛を湛えたフレーズたちなのだろうか。
 家族の愛情にたっぷりと育まれ、その反面で身の置き所のないような悲しみ、その両方の経験を味わった人間にしか書けない言葉ではないかと思う。
 そして、「それでも私は私であるためにそうだ元気ですよと答えよう。」拓郎の意気軒昂な熱唱が、さまざまな思いたちをしっかりと束ねるように進んで行く。
 すべての淵源はこの「元気です」というフレーズにあるのかもしれない。「誰かに会ったら笑って元気ですよと答えよう」(ひとつの出来事)、「苦しくなったら元気を出そう」「大切なのは心が元気でいること」(後悔していない)「元気をだせば見えてくる」(そうしなさい)。拓郎によって繰り返し歌われた「元気」を辿っていくと最後はあのアルバム「元気です」のライナーノーツ「僕はやっぱり元気なのです。とてもたくさんの反感を買いましたが・・・・元気なのです」にたどり着く。
 無理したカラ元気でもなく、肉体を鍛え抜いたり、節制したりして得る元気でもない。拓郎ファンサイトの老舗で早逝した掛川哲郎氏のコーナーに「元気ですの心意気」というのがあったが、まさに「心意気」なのではないか。
 拓郎本人も激動の人生だったろうが、ファンでいることもまたそれなりに大変だ。何より今のこの世の中に大人として生きていることそれ自体が大変だ。あ、子どもも同じか。ともかく拓郎とファンとの関係は、お互いにこの「元気です」の心意気を共有しながら、この世の極北を行く道すがらなのかもしれない。
 残念ながら音域が広すぎるのでステージで歌うのはキツイようだ。一度も歌われていない。2009年の最後のツアーのリハでトライされたが、本人はダメだったとHPで告白して、多くのファンを悲しませたこともある。せめていろいろな場面でこの作品が広がって行き、歌い継がれていってほしい。

2015.9/13