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ふるさと

1971年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「人間なんて」

We are the 吉田町の唄 ビギンズ

 もはや古典的名盤ともいうべきアルバム「人間なんて」のラスト。大合唱となるこの作品は、まるでカーテンコールのようだ。
 おやじを愛し、おふくろを愛し、兄貴を姉貴を愛し・・・家族をふるさとを愛するという何の身構えもない、のどかさ溢れる賛歌だ。シンプルで歌いやすく、しかも聴いていても自然と気分が昂揚してくるようなメロディー。
 今になって聴くと、この作品は間違いなく「吉田町の唄」のエッセンスとなっていることに気がつく。71年モノの「ふるさと」を20年間、「吉田拓郎」という最高級のワイナリーで、寝かせつづけて熟成した結果、91年モノの銘酒「吉田町の唄」が完成したと言う感じだ。「ふるさと」を味わいながら、やがて将来熟成される「吉田町の唄」を思い、「吉田町の唄」を聴きながら、原酒の「ふるさと」の瑞々しさを思う。たゆとうような20年間の時の流れの味わいに身を委ねる・・・うむ、これぞ、私たち年代モノのファン(爆)だけに許された贅沢である。

 「日本を愛し」というフレーズは、一般に唄にするといろんな意味で、チカラが入りすぎたり、聴き手の毀誉褒貶の嵐が吹きがちだ。例えばこの時代からすると「保守反動」とか怒られそうだ。しかし、この歌からは、そういう政治とは無縁の、ふるさとの延長線上に自然にある「日本」しか感じさせない。これが御大の人徳だ。
 そして、家族、ふるさと、日本を讃えながら、そこでは終わらずに「そしてそこに僕がいて」「そして自分を愛して」という、それらとの関係を結んで生きて行く自分がいる。このポジティブさが、なんとも「吉田拓郎」だという気がする。

 途中からの全体唱和も実にイイ。たぶん拓郎は、この素朴な歌をひとりで歌唱するのがテレ臭かったのだと思う。まるで宴会のようだと言われるが、宴会よりはもう少し崇高なものを感じる。
 これは、推測だが、きっとマイケルジャクソンが、これを聴いて感動して「ウィー・アー・ザ・ワールド」でパクったのではないかと思う。>それは推測じゃなくて妄想だ
 この作品を聴くと、あの唱和の輪に自分が入っていきたくなる。「ウィー・アー・ザ・ワールド」を超えた快感と共感がある。
 いろんな意味で若き天才の萌芽を感じる。良い、良い、ミニバンドも良い・・・が御大も良い!

2015.8/21