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S

1982年
作詞 吉田拓郎 作曲 吉田拓郎
アルバム「王様達のハイキング IN BUDOKAN」/DVD 「82 日本武道館コンサート 王様達のハイキング」

Yより出でて、いつかYに帰る旅路

 1982年の王様達のハイキングの春のツアーで歌われ、そのまま春ツアーファイナルの日本武道館での演奏を収めたライブアルバムに収録された。前年発表の「Y」と同一メロディーで、詞だけが「S」という全く別の女性に対してのものに変えられている。ちなみに、この後の82年秋のツアーではさらに別の女性「X」に変わっている。「Y」の評判を機にシリーズ化を考えたようだ。しかし、やはり一番最初の「Y」が一番人気で素晴らしく、シリーズはだんだんと尻つぼみとなった感が強い。「Y」の時は「Yって誰だ!?」とファンの間でも話題になったが、「S」ではあまり取沙汰されず、「X」に至っては「誰でもいいや」みたいな雰囲気がファンの間に流れていた。そのせいか秋のツアーの終盤にラジオ中継(FM広島開局記念だったか)された広島県体育館の公演では、「Y」に歌詞を戻して歌っていた。
 いろいろツッコミどころのある詞だ。「それは町中が振り返るほど性格のいい女の人だった」なぜ町を歩くだけで性格が人々にわかってしまうのか、性格に反応して振り返ってしまう町ゆく人々もタダ者ではない。しかも「海へ行こうと誘ってくれて 溺れるボクを見て『好きよ』って言ってくれた」。泳げない相手を海で溺れさせる人を「性格のいい人」と言っていいのか。疑問は尽きない。
 それにS→Xと、詞がだんだん説教臭くなってくる。その意味でもSまででギリギリ、打ち止めにしたほうがいい。とはいえ、そこはやはり拓郎。聴いているうちに、切々とした歌声のバラード展開に引き込まれていく。珠玉な言葉が散りばめられるのも確かだ。

「人を信じるって事は 泳げない僕が船に乗るみたいで 誰にもわからない 勇気のいる事だから」
「人生はいくつもの形に 変わっていく雲の様だ その時々精一杯生きればいい」

 グイグイと心に入ってくる。それは、生の演奏の力も大きいと思う。音源はライブしかないので、この作品の直前に演奏された「悲しいのは」のラテンの放熱と余韻が冷めやらぬ熱気の中、クールダウンしていくような安らかなピアノが印象的だ。そして盤石の演奏とボーカルがたまらない。春ツアーで全国を転戦し、ラストの武道館公演ということで、すべてが練りに練り上げられている。絶対に沈まない船に乗って、浪間をゆったりと漂うような安心感と心地よさ。胸がキュンとなるような間奏。出た!拓郎の得意技、ライブでの強引な説得だ。拓郎に魔法をかけられた真夏の夜の小さな夢ということで記憶しておきたい。

2015.10/31